2003/11 満月 - Moonsault Space
![]() もう11月です。毎年のことなのですが、この時期は『来年の運勢』の星占いを書くのに忙殺されていて、またしてもお手紙を書くのが満月から少し過ぎてしまいました。申し訳ありません。どうしても目先のことばかりに追われてしまうのですよね。情けないことです。 さて、ここ数日、僕のメールボックスにはいろいろな人から問い合わせというか照会がありました。今回の満月(というか月食です)のときの星の配置は特殊らしいですね、いったいどんな意味があるのか教えてほしい、というものです。僕のほうでは月食はあるし、ホロスコープはもちろん見てはいたんですがそんなに一般の人が騒いでいるのは何かいなと思っていたら、どうもニューエイジ系のかたがたが話題にしていたようですね。「ハーモニック・コンコーダンス」だというので、ぴんときました。あれはたしか87年だったか、ニューエイジ運動の中で惑星がダビデの星の形に並ぶ(ヘキサグラムです)ことを記念して集団で瞑想が行われたり、レイブがあったりしたんですよね。イギリスのシリアスな(土星的な)占星術家たちはこうした運動をややひややかにみていたようですけれど。 惑星がヘキサグラムのかたちに並ぶのは、確かに珍しいことではありますが、ここのところをみると、数年に1度は起こっています。それ自体で人類の意識が上昇する、なんてことはちょっと考えにくいですけど。実際、ハーモニック・コンコーダンスの運動は87年のときよりもずっと規模が小さかったようにもかんじます。ただ、こうした運動で僕がかんじるのは、伝統と切り離された僕たちが新しい伝統、というか季節や時間の区切りを新しく作ろうとしているんだなあということ。 エリアーデがいうように、『宗教的人間』には時間と空間に濃淡があるわけでしょう。時間はただただストップウオッチで計れるような計量可能なのっぺらぼうの流れではない。そこには季節があり、節目があり、おりおりの節目がある。神道の祭りはそれをきちんと伝統化して、集団化し、共同体を支えるために使ってきた。いや、人の中には時間を分節化し、世界を更新する機会を逃したくないという本能があって、神道はその魂の感受性の表れだったといってもいいと思います。もちろん、そんな伝統から脱出を試みるのが若者なのかもしれませんけれどね。 しかし、世俗化した人間にはそうしたものは少ない。クリスマスは確かに僕たちのなかでも重要なお祭りだけれども、恋愛という一種の宗教的な感情とかかわっていない人たち向けにはあまりにも貧弱な消費行動しか喚起しなくなっています。 そこで、世俗化した社会のなかで、何か大きなものと接触したいという感情が、若者や カウンターカルチャーの残り香を生きている人たちの間では、占星術象徴をつかった新しい祝祭というかたちをとってどんどんと生まれてきているということなのでしょう。 僕の知っている限り、このような運動はマヤ暦が終わるだとか、新しい次元に入る日だとかフォトンベルトに太陽系が入る、などなどといった疑似科学的なコスモロジーの用語が使われて次々に更新されています。 こうした祝祭を喚起する占星術は、これまでの歴史をみても終末論と結びつきやすく、ときに為政者に、ときに破壊的なカルトに用いられてきたこともあって、意識的な占星術家であればそうとう警戒しながら使わなければならない概念なんですよね。 占星術はその意味できわめてアンビバレントな立場にいます。バーガーのいうような聖なる天蓋を喪失した現代人のために強力なもうひとつの『天蓋』を提供することも占星術は可能ですが、しかし、それと同時に、そうしたものが終末論と結びついたり、自分の時代なり自分自身を特権化するためにも用いられるということなのです。 魚座に入った天王星が示すのは、これからますます理想化された社会をイメージした運動が出てくる可能性があるということです。もちろん、この暴力に満ちた現代にたいして、魚座が象徴するような無償の愛や奉仕の気持ちが大きなメデイスンになるのは間違いありません。しかし、それがあまりにも理想主義的であり、急進的であった場合の可能性も考えておかなければならない、というのは、僕の中の重い土星が言わしめることでしょうか。 そうそう、そういえば、映画の『マトリックス レボリューションズ』を見ました。遅ればせながら、マトリックス、リローデッドとつづけて3本を見たんですが、いや、これまで見ていなかったのがお恥ずかしい。とくに最初のマトリックスにはやられました。 実はこの世界そのものが悪意に満ちたコンピュータによって精緻に作られたバーチュアル世界であって、そのなかに僕たちは閉じ込められている、という感覚はまさにグノーシスそのものでしょう。そこから『覚醒』しなければならないというわけですが、マトリックスの世界観の気持ち悪さは単純に「覚醒」するのがいいかどうか、という問題、そしてどうすればそれが夢ではないかどうかわかるのか、ということまでつきつけてくるということです。あのワイヤアクションやサイバーパンクの最高峰のファッションなどにもしびれますが、ここ最近見た中では僕の中でもベストワンのエンターテイメントですね。 脳科学者の茂木健一郎さんと、ある雑誌で対談したんですが、そのなかでも話題になったのはマトリックスでした。 もちろん、『水槽の中の脳』として、僕たちが見ているのはすべて脳による幻影にすぎないのではないか、という問題ははるか前から定義されていましたし、もっといえば哲学の世界での唯我論や、プラトンの洞窟の比喩にまでこうしたイメージはさかのぼれるでしょう。胡蝶の夢も同じテーマですよね。 しかし、それがただただ思考実験というかたちではなく、このテクノロジーの時代に、リアリテイをもって大衆レベルで感じられるようになってきた、ということがすごいと思うわけです。 もはやスターウォーズの時代ではないなと思いました。それはこの世界そのものが虚構かも知れず、メデイアによるイメージ戦略なり、VRなりが僕たちの世界を構築しているかもしれない、と人々がどこかで感じている、ポストモダン的な世界の映画なのです。 そんなこんなで考えているうちに、12月に京都の龍谷大学でしなければならない講義のことを思い出してしまいました。 実践メデイア論として、講義をひとつ担当するのですが、できればこのあたりのことまで話そうと思っています。メデイアについてその現場に身を置いているものの立場から何か講義をせよということなのですが、就職案内のようなことをしても仕方がないわけで、メデイアが「メデイウム」である、つまり、集合的な何かの霊媒的な役回りをすることだ、集合的な欲望をメデイアはそのまま拡大してしまうことがあるということも述べたいと思うのです。自分の欲望が他者の欲望であるかもしれない、というのは実に気持ちの悪いことではありますが、その気持ち悪さをキープし続けることが批判的な視線を失わずにいれる、ということでもあると思うからです。 その意味で、単行本化される先生の『魔境論』楽しみにしております。発売されるのが待ちどおしいです。自分のなかにおける魔や集合的な魔、そして悪とどのように折り合いをつけてゆくか、というのは本当に重要な問題だと思うからです。 それでは。またしても少し短いですが、ここのところかんじていることまでを。 2003年11月10日 鏡リュウジ拝 拝復 鏡リュウジさま お忙しいところ、いつもありがとうございます。少し遅れてレターが交わされるのも愛嬌というものです。 ところで、昨日は、満月選挙でしたね。でも、曇り。満月は見えませんでした。が、曇っていて、お月様が肉眼で見えずとも、それが感じられるような心の目を磨きたいものです。 最近、「中外日報」という宗教新聞に、週1回、「宗教と文学」という連載をしていますが、このところ2回ほどノヴァーリスについて書きました。ノヴァーリスは言っています。「外的なものは、神秘状態に高められた内的なものである――/(おそらくこの逆も言えるだろう)」(『ノヴァーリス全集2』池田信雄他訳、沖積舎、2001年)と。内なる道は外なる世界に通じているということですね。わたしもこのようなリバーシブル哲学(反転哲学・反対物の一致思想)を昔から持っていました。 昨日の満月が、「ハーモニック・コンコーダンス」という特別な星の配置を持つ満月だということを音楽家の桑名晴子さんからのメールで知りました。元神戸元気村代表・オープンジャパン代表の山田バウさんから送られてきたメールの中に、音楽家の桑名晴子さんのメッセージが載っていて、それによると、「日本時間の2003年11月9日午前10時12分42秒に、地球を中心として、火星、土星、太陽および月、木星、カイロンの二つのトライアングルが重なって六芒星を形成(ハーモニック・コンコーダンス)」するということらしいですね。ちょうどその時間に、わたしは埼玉県さいたま市大宮区第3投票所に投票に行っておりました。その結果がどうなったか、見ての通り、政権交代ならず、でした。 わたしは桑名晴子さんの音楽は大好きです。すばらしい歌だと思います。2回ライブで聴いたことがあります。1回は、わたしたちが主催した奈良公園で行なった「虹の祭り1999」で、もう一回は「月山炎のまつり2002」で。特に、月山での歌には痺れた……。 この「ハーモニック・コンコーダンス(harmonic concordance)」とは、「分離されていたもの(マインド・価値観など)が調和的に一致する」という意味と桑名晴子さんは書いていました。そして、「ワンネス(Oneness)や I am(私は全てである)へとつながる」ということ。「ハーモニック・コンコーダンスの期間において、神聖な意識(それを神の意識と呼ぶ人もいる)は全ての人の意識を上昇させ、これまでにない意識のジャンプ(Quantum Jump)を起こす」とか。 でも、鏡さんが分析してくれたように、それがニューエイジ系の一種の「世直し・世直り」願望かも、ということには納得しました。そうかもしれません。とはいえ、こうした願望の力やイメージの力は馬鹿にできません。 鏡さんもよくご承知のように、わたしは、5年前から「神道ソングライター」を名乗り、この9月11日にセカンドアルバム『なんまいだー節』を平和と鎮魂の祈りとともにリリースしましたが、別名、「星の音楽家」とも言われることがあります。その理由は、どの歌詞にも必ず「星」という単語が入っているからです。宝塚みたいだけど。 わたしが歌い始めたのは、わたしにとっての「世直し・世直り願望」からだとはっきり自覚しています。そのわたしの「神道ソング」の歌詞は、とてもとても、「ボキャ貧」で、キーワードは馬鹿の一つ覚えのように「星」。アリスの谷村新司の「昴」じゃないけど、「星」のメッセージを受けて生きてゆく、というものです。それがわたしの考える「天命拝受」です。このムーンサルトレターをまとめた鏡さんとの本のタイトルも『心の中の星を探す旅』(PHP研究所)でしたものね。まことに残念ながら、ほとんど売れなかったけれど。 鏡さんが見た『マトリックス』、最新版は見ていませんが、最初のものは、もろグノーシス主義だとわたしも思っていました。この世に騙されて堕されているという設定なんか、悪の造物主デミウルゴスの世界像そのものですものね。あの映画は、1/3は「スターウォーズ」、1/3はグノーシス、1/3はハリウッド、だと思いました。あの映画の感覚、すごくよくわかります。 ちなみに、最近見たわたしの映画ベストワンは何と言っても「地獄の黙示録 完全版」、その次が、グノーシス主義的だとわたしが思った「ヘドウィク・アンド・アングリーインチ」です。 ところで、去る11月3日付け朝日新聞朝刊に、「憲法状況意識して一票を――小林正弥・千葉大教授インタビュー」という記事が載っているのを読みました。小林さんは言います。「今回各党が正面に掲げて論戦している構造改革なども確かに重要だが、安全保障と憲法改正問題こそが戦後政治の最大の対立軸だったし、21世紀の運命も決める」と。小林さんは、明確に、「最も重要な問題が隠蔽され、焦点がぼかされている」と指摘していますが、その通りだと思いましたね。「最も重要な問題」とはもちろん、「憲法改正問題」です。というのも、憲法は国の土台であり、柱であり、生活の根っこ、基盤ですから。そのもっとも大切な生の基盤をどのようにするのか、豊かに肥やすのか、それとも、掘り尽して解体破壊し死に体にして衰滅に導くのか。イラク派兵・改憲にはわたしは反対です。 その小林正弥さんは選挙に行こうと熱く呼びかけましたが、投票率はしかし59・86%でした。埼玉県では、53・98%。全国平均より6%も低かったのです。その全国平均も、前回の62・49%よりも低かったのですよ。 政治哲学・公共哲学専攻の学者である小林さんは、熱い呼びかけの中に、冷静な理性的判断ができる情報を提供してくれましたが、それはとても貴重な「公共哲学」的「公共的努力」だったと思います。関心のある方は、リンクを張っている「公共哲学ネットワーク」のホームページをご覧ください。わたしたちは、さまざまな情報のフローの中からより信憑性のある重要な情報を探し出して判断していく必要がありますからね。それには、正しい情報をゲットしなければなりません。 その情報と判断という問題と関係しますが、今発行されている岩波書店の雑誌『世界』12月号に、宗教学者の島薗進氏の論文「先端生命科学の倫理をどう論じるか?」が発表されています。島薗さんとは、もう30年近い交友になりますが、わたしが本当に信頼している宗教学者です。彼は、東京大学大学院人文社会系教授で、日本宗教学会会長や総合科学技術会議生命倫理専門調査会委員を務め、東大のCOEプログラム研究「死生学の構築」の拠点リーダでもあります。 この論文は大変力のこもった、的確で明確な問題提起作です。これからの医療や科学技術の展開を社会の問題としても個人の問題としても考えていくためには、生命科学や再生医学や遺伝子工学などの科学技術と政策や政治力学・戦略についての的確な知識と判断力と同時に、一人一人の「死生観」や人生観が問われてきます。しかし、多くの場合、国民は何も知らないまま、知らされないまま、政策決定が進行するという結果になりがちです。島薗論文は、そうならないよう、呼びかけ、世論を喚起しようとしています。ぜひ多くの人に読んでもらって、この問題の深刻さに理解を深め、議論を盛り上げて行きたいものです。そのためにも、島薗さんたちの進めているCOE研究「死生学の構築」は貴重なものです。 早稲田大学教授の生命科学者・長谷川真理子さんは、国民的な「理科教育」のレベルアップが必要だと訴えていますが、まったく同感です。医療の現場でも、国民が医学や医療を知らないことで、どれほど不利益や不平等や被害を蒙っているか、計り知れないものがありますからね。インフォ-ムド・コンセントが重視されるようになったとしても、医者の言うことへの理解力と判断力がなければ、医者に委ねるしかないのですから。言うなりになったり、泣き寝入りしたりということがこれまで頻発してきたし、今もなお少なくありません。最近、岡山大学の大学院で医学や生命倫理学を学びながら、現状はかなり深刻だと日々実感しています。テレビで『白い巨塔』のリメイクをやっていますが、大学医学部や大学付属病院の体質はまだまだ変わっていないのではないでしょうか。いろんな事件や事故が起こるのを見ていると、そう思わざるをえません。 わたしは、これまで哲学や宗教学や民俗学の研究にかかわってきましたが、この生命倫理の問題は、環境問題やエネルギー問題や平和問題と並んで、21世紀の根本問題になると痛感しています。そうした問題に各政党がどのような考えを持っているか、持ってきたかを知ることも大事ですね。 最近、わたしが加入している「art of peace」というMLの中で、「神道」の人たちが教育基本法改正をどう考えているかという質問があって、それにおおよそ次のように答えました。 <おそらく、全国神社8万社の包括団体である神社本庁は、教育基本法の改正に「賛成」の意向でしょう。特に、「愛国心」、正確には「国を愛する心」や伝統を重んずる条文を入れることには賛成している、というより、それを積極的に盛り込んでいくように運動してきたと思います。先の自民党総裁であり、内閣総理大臣であった森喜郎前首相の「日本は天皇を中心とした神の国」発言は、神社本庁の神道政治連盟での講演か挨拶の中での発言で、戦前の「国体」論や「皇国史観」の尾を引きずるものとして、また国民主権の軽視として問題になり、多くの国民の反発と批判を受けました。 が、森前首相は、そのほとんど直後の故小渕恵三元首相の自民党葬の際には、小渕前首相のみたまに「安らかに<天国>に往って下さい」と弔辞で呼びかけました。わたしはそれを知って、森前首相の一貫性のなさに唖然としました。というのも、神道の立場に立つなら、「黄泉の国」とか「幽り世」とか「常世の国」とかというべきでしょうし、仏教の立場では「浄土」とか(特に浄土系の信仰ですが)というべきでしょう。「天国」はキリスト教の世界観に立脚した発言となりますね。人が生まれたら初宮詣で神社へ、死んだらお寺へ、正月には神社参拝、お盆は仏教式で、クリスマスはキリスト教で違和感なく過ごすという「日本式」の曖昧さが、森前首相には典型的に見られたような気がします。自民党が、憲法と教育基本法を改正したいと運動してきたことを銘記して選挙に臨むべきですね。わたしは、そのどちらにも、「改正」に反対です。それは「改正」ではなく、「改悪」への道だと思うからです。 わたしは、以前、拙著『神道とは何か』(PHP新書、2000年)のあとがきで、「君が代」を国歌にすることに反対の意志を表明しました(ただし、「日の丸」には賛成しました。詳しい論旨は同書をご一読ください)。そして、国民から「国歌・国民歌」となるものを公募することを提案しました。わたしは、現時点で、憲法改正にも教育基本法改正にも反対の立場です。どちらも、とても普遍的で未来的な理念を持っていると思っています。「愛国心」を「教育」の場に持ち込むことの危険性をわたしは危惧します。わたしは、信教の自由や思想信条の自由を重んずる立場です。そんなわたしには、昔から、右からも左からもそれなりの「圧力」がありました。ではあっても、自分はこう考えるということを正直に、できるだけ明確に伝えていく責務があると思っています。今月の中旬以降に、拙著『神道のスピリチュアリティ』(作品社)が店頭に並ぶと思います。そこには、教育基本法改正問題などには触れてはいませんが、わたしが神道をどうとらえているか、できるだけわかりやすく明確に伝えようと努力しました。関心がありましたら、ぜひご一読ください。> 平和活動家のきくちゆみさんによると、昨日の「11・9」は「9・11」の逆で、テロを平和に転換する日とか。そうなることを昨日は本当に心から祈りましたよ。 ところで、最近、雑誌『地球人』(ビイング・ネット・プレス発行、星雲社発売)が創刊されました。特集は、「医療とスピリチュアリティ」です。湯浅泰雄、上野圭一、帯津良一、石田秀実、宮迫千鶴、井村宏次ら各氏の寄稿やインタビューが掲載されていて、小さい雑誌ですが読み応えがあります。わが家の猫「ココ」も写真入りで出ています。この眼球のない、目も見えない8歳のメス猫がわたしの「グル」であることは以前書いたとおりですが、わたしも医学と霊性の関係について書いています。今月に、作品社から出す『神道のスピリチュアリティ』とも密接に関係してくるテーマです。ぜひご一読ください。また、周りの方にもお勧めしてくださると幸甚です。 最後に、わたしのセカンドアルバム『なんまいだー節』全曲が、全国の有線放送のある店からリクエストできることになりました。11月末くらいから可能になります。飲み屋や喫茶店などに行って、有線放送があったら、試しに「なんまいだー節」や「フンドシ族ロック」などをリクエストしてみてください。リクエストしてから30分以内くらいにかけてくれるそうです。店の人は、「なんじゃいなー、こりゃー!」と呆れるかもしれませんが。一日一馬鹿運動の提唱者であるわたしは、笑いながらの意識革命を進めていきたいと本気で思っています。 それでは次の満月まで。ごきげんよう。 2003年11月10日 満月選挙の翌日に 鎌田東二拝 |