2004/7 満月 - Moonsault Space

拝啓 鎌田東二先生

 今、そらに美しい月がかかっていますが、そのかたちは、満月からかなり欠けてしまっております。満月の日にお手紙をお送りするという約束を、またお守りすることができませんでした。どうぞお許しください。
 現代のペンであるパソコンの調子が悪く、やっとさきほど調整してもらったところです。便利な道具になれすぎてしまうと、ちょっとしたことでこんなに困ってしまうものなのですね。申し訳ありません。

 さて、今日はこのところ届いた本についてお話をしてみたいと思います。
 ご存知のように、僕は10代の終わりから20代半ばにかけてイギリスの魔女運動、あるいは新異教運動(Neo-Paganism)にコミットしてきました。ちょっとかっこつけた言い方を許していただければ、参与観察とでもいえるのかもしれませんが、若さゆえの好奇心につきうごかされてのことで、イギリスにまででかけて、師匠を探したり、儀式に参加したものです。先ごろ新装版で出版された『鏡リュウジの魔女入門』(柏書房)はそのときのリサーチと実践をもとにしてかかれました。

 日本ではほとんど知られていませんが、欧米ではこの異教運動は相当大きな広がりをもっており、このところ、やっとその動きにたいして学術的なエスノグラフィや分析、そして資料などが出版されるようになってきたのです。

 新異教運動は、とくにキリスト教世界において大きなインパクトをもつものです。ペイガンたちはいいます。キリスト教よりも古い土着の宗教がヨーロッパには存在していた。旧石器時代にまでさかのぼることができる、自然の神々を崇拝する宗教であり、そのなかには大きな知恵があった。しかし、あとから入ってきた一神教であるキリスト教は、ペイガンたちの信仰を悪魔崇拝と同一視し、魔女として弾圧した。しかし、その一部はほそぼそとではあるが生き残っていて、エコロジカルな、あるいは過度な父権性に毒された現代においては、その生き残った知恵が役に立つのだ、と。ペイガンたちは、教会や寺院のような建物を作ることもなく、また大きな組織をつくることもなく、ゆるやかなネットワークを中心に活動しています。そのために、実数を調べることも難しいのですが(このあたりはニューエイジと似ています)、今になってやっと研究者たちがその内実を活字にしはじめました。

 ペイガンの信仰は、日本人にとってはとりたてて驚くべきものはありません。自然を崇拝する、多神教である、女神を重視する、生をことほぐ、歌や祭りを大切にする、などという特徴は、神道にもそのままあてはまるでしょう。これほど大きな宗教運動が日本でほとんど注目されていないというのは、あまりにもその主張が「あたりまえ」に思えるからでしょう。そして、そのわりに、異教徒たちのいでたちがあまりにも異様で、なかば冗談にしかみえない、ということもあるのだと思います。しかし、欧米では、この運動はとてもポピュラーで、たとえば、最近翻訳が出ている人気ロマンス・ミステリー、イヴ&ロークのシリーズの5巻、『魔女が目覚める夕べ』(ソニーマガジンズ)では、物語の重要な登場人物として、戯画化されたサタニストとウイッカ(魔女、代表的な異教信仰の形態)が登場しているのです。

 さて、そうした異教運動の概略についてもっとも熱心に、共感をもって著述活動をしているのは、ブリストル大学のロナルド・ハットン博士でしょう。河合隼雄先生の、アイルランド紀行で対話されたドルイドも、ハットン博士でした。ハットン博士の”Triunph of the Moon”は、主にイギリスの新異教運動の歴史をまとめた該博なものであり、また、同じ著者のWitches,Druids,and King Arthurは、同じ主題のうち、とくに現代のドルイドとアーサー王伝説について情報を与えてくれています。

 イギリスのお堅い出版社であるRKPからも、つい最近、Paganism Readerというアンソロジーが出版されました。
 古典テキスト、原-復興テキスト、復興テキストの三期に分類して、異教の主だった文献を集めたものです。アプレイウスの『黄金のロバ』におけるイシスの言葉、ジェフリー・オブ・モンマスのブリテン列王伝におけるマーリンの予言など、古典的なテキストからイタリアの魔女とであったというチャールズ・リーランド、ロバート・グレーヴス、クロウリーからレイモンド・バックランド、ドリーン・ヴァリアンテなど現代の代表的な魔女、魔術師たちの文章までを集めたものです。

 また、アメリカからはコロンビア大学出版から”New Age and Neopagan Religions in America”という解説書が出され、はじめてネオペイガニズムとニューエイジの相同性と差異が論じられています。

 このようなアカデミックな研究は、実践者たちにとってはさほど重要なものではないのかもしれませんが、しかし、一般の人々にいかに真摯に彼らが自分たちにそった生き方を模索しているかを知らしめるためには大いに意味があると思います。世界で起こっている「大きな」問題を考えるために、どうしてもキリスト教対イスラームという構図ばかりが論じられることが多い現在ではありますが、しかし、「西洋」のなかにも、意識的に現代の主文化のありようにたいして異議をもうしたて、そして、別なスタイルを模索している人々が存在するということはとても重要だと思います。

 ペイガンたちの集会や祝祭は、経済活動でも国家活動でもない、精神的なつながりをもとめてのコミュニオンであり、こうしたものを意識的に作り出さなければ成らなくなった、現代人の魂の渇きを象徴していると思います。そして、そんなささやかな抵抗の意思をはらんだ、スピリチュアルな運動は、大きな力に世界が動かされている今こそ、とても重要なものになってくるのではないかと思うのです。

 今日は新刊の紹介ばかりになってしまいましたが、何か興味をもたれるものがこのなかにあると幸いです。

敬具 2004年7月7日 鏡リュウジ拝



拝復 鏡リュウジさま

 鏡さん、たいへん忙しく、またパソコンが故障している時に、無理をしてレターを送ってくださり、ほんとうにありがとうございます。鏡さんのご厚情には、いつもいつも、こころから感謝しています。ほんとうに、原稿料もなしの、ホームページ・ボランティア活動のようなムーンサルト・レターの交換ですからねえ。

 鏡さんが指摘された「ペーガニズム」の運動については、実はわたしもとても関心を持っています。ちょうど10年前の1994年に、イギリスのコーンウォール地方のケルト文化復興運動の一つである「ゴーゼスの祭り」を井村君江先生といっしょに見に行ったくらいですから。

 その時、井村先生のハズバンドであったオックスフォード大学文学部名誉教授のジョン・ローラー先生にもお会いしたのでした。ローラー先生は、まったくのイギリス風ジェントルマンでしたが、かの『ナルニアものがたり』の著者C・S・ルイスの弟子だったそうですね。かつてわたしは、ルイスの『ナルニアものがたり』など、夢中になって読み耽ったものです。

 イギリスという国は、なかなか奥が深い、陰影のある国です。ブリティッシュ・ロックがそうであるように。アングロサクソン一色ではないのですね。古代ケルト文化がコーンウォールやウェールズやスコットランドには色濃く残っています。

 その国に「ぺーガニズム」運動が根強く展開され、一定の社会的認知を受けているというのは実に興味深いです。わたしが好きだったT・レックスのマーク・ボランやケイト・ブッシュなどは、まさにそのような「ペーガニズム」の申し子のようなミュージシャンだったし、そうした系統のミュージシャンもいろとりどり、たくさんいます。

 鏡さんがおっしゃるように、「自然を崇拝する、多神教である、女神を重視する、生をことほぐ、歌や祭りを大切にする、などという特徴は、神道にもそのままあてはまる」といえますし、「神道」に限らず、それはアーカイックな宗教文化の基本特性でもあります。井村君江先生が発掘し提唱してきた「妖精学」というのも、そうしたアーカイック文化、基層文化、古層文化といえるものでしょう。

 とりわけ、鏡さんが最後に指摘している、「ペイガンたちの集会や祝祭は、経済活動でも国家活動でもない、精神的なつながりをもとめてのコミュニオンであり、こうしたものを意識的に作り出さなければ成らなくなった、現代人の魂の渇きを象徴している」という点はキーポイントでしょうね。

 実は、わたしがこれまで関わった日本の古くて新しい祭りもそうした希求に貫かれた祭りであったと思います。猿田彦神社の「おひらきまつり」(1997年―現在)、「神戸からの祈り」(1998年)、「虹の祭り」(1999年―2001年)、「月山炎のまつり」(1999年―現在)、そして今年の6月18日から22日まで行なわれた「ワールド・ピース&プレイヤー・デイ(WPPD、せかいへいわといのりの日)」もそのような祭りであり、祈りでした。

 この日本でのWPPDの始まりについて、少しお話します。2年前のある日、一人のネイティブ・アメリカンの女性が日本の女性に電話をかけてきました。彼女は言いました。
 「わたしたちは自分たちの部族に伝わる古い言い伝えを現代に伝え開いていくために、毎年6月21日の夏至の日を『ワールド・ピース&プレイヤー・デイ(WPPD=世界平和と祈りの日)』として平和の祈りを実施し、その日を『聖地を讃える日』に制定することを国連に提案してきましたが、2004年6月21日に日本でそのWPPDを行なうことを手伝ってもらえませんか?」と。

 電話の主はラコタ族のチーフ・アーボル・ルッキングホース夫人のポーラさん、受け手は長野県在住の主婦の海老原美恵さんでした。そこから”WPPD2004JAPAN”が動き始めたのです。海老原美恵さんは自分で「そんなたいそうなことできるはずがない」と思いながらも、この投げかけをパートナーの舞台監督の海老原良行さんや、大阪在住の音楽家の岡野弘幹さんやデザイナーの山口ハルさんや翻訳家の本出みささんなど、数人の友人たちに話をし、そこからWPPD事務局が生まれ、そのまわりを取り囲むように、実行委員会と呼びかけ人の輪が生れました。

 本来、ラコタ族の「ウェイ・オブ・ライフ」は、アーカイックでプライマルな自然信仰でしたから、それはまさに鏡さんが言われる、ペーガンの主張、すなわち――「キリスト教よりも古い土着の宗教がヨーロッパには存在していた。旧石器時代にまでさかのぼることができる、自然の神々を崇拝する宗教であり、そのなかには大きな知恵があった。しかし、あとから入ってきた一神教であるキリスト教は、ペイガンたちの信仰を悪魔崇拝と同一視し、魔女として弾圧した。しかし、その一部はほそぼそとではあるが生き残っていて、エコロジカルな、あるいは過度な父権性に毒された現代においては、その生き残った知恵が役に立つ」とほぼ同様のルーツと文化内容を持っているといえると思うのです。

 タコタ族の「ワタンタンカ(グレート・スピリット、グレート・ミステリー)」や「ミタクエ・オヤシン(すべてのつながるいのちとともに)」やナバホ族の「ホジョナー(美・調和・平和)」などの言葉は、そのような「生き残った知恵」を集約した言葉といえるでしょう。

 このWPPDのことについては、その概要を、7月6日付けの徳島新聞朝刊に寄稿し、このホームページ(こちらをクリック)の新聞欄に掲載してあるので、ぜひお読みいただきたく思います。

 このWPPDの初日の催しで、わたしが司会を務めたシンポジウム「先住民と日本の古層文化」では、宗教学者の島薗進さんの柔軟な感性と豊かな学識、沖縄の詩人の高良勉さんの熱い想像力と鋭い直観の中から生れてくる言葉がぶつかり合い、そして少し若い世代のアイヌ・アート・ルネッサンス運動を展開する結城幸司さんの情熱としなやかな経験とが、絡まり、相乗する渦を作り出すことができたのではないかと思っています。高良勉さんの夫人である高嶺久枝さんと、彼女をリーダーとする琉球舞踊集団・かなの会の踊りも素晴らしく、見ていて、場の空気の次元が変るのが分かりました。とても豊かな、美しい時間でした。

 そして、とりわけ、夏至の日、6月21日の朝の祈りは、台風の影響によるどしゃぶりの中、朝霧に取り巻かれながら、5時間も3600人の人が輪になって、ほとんどまったく誰一人帰らずに祈りを捧げた光景は、奇跡のような、ほんとうにすばらしい光景でした。深く深く、心に、身体に、たましいに、沁みわたりました。祈りと情熱の台風が、心の中で渦を巻き、輪となり、竜巻となって天に昇って行きました。WPPDは、ほんとうに「古層の知恵」と「力」の発見の催しであったと強く感じています。

 日本におけるこうした「生き残った知恵」の発掘者が、山尾三省さんやおおえまさのりさんや喜納昌吉さんたちだと思います。このお三方とは不思議な縁があります。山尾三省さんには、「東京自由大学」の設立時(1999年2月20日)からの顧問になっていただいたり、講師として「宇宙を知るコース」を担当していただいたりしました。映像作家で『チベットの死者の書』の翻訳者でもあったおおえまさのりさんとは、同じ阿波徳島県の出身であったり。おおえさんのお父さんは、阿波浄瑠璃の文楽人形のとても優れた製作者なのですよ。それから、喜納さんとはいっしょに、「神戸からの祈り」という阪神淡路大震災で亡くなった人々を鎮魂供養し平和を希求する祭りを行ったり、『霊性のネットワーク』(青弓社、1999年)という対談集を出したりして。これまで、それぞれの「知恵の探究者」と出会って、多少なりとも共同作業をしてきたといえると思います。

 そんな奇しき縁があって、実は、昨日、大宮駅西口での喜納昌吉さんの選挙運動に応援に行ってきました。喜納さんは、大ヒット作「すべての人の心に花を」の作者で、「すべての武器を楽器に!」をスローガンに音楽を通じた平和運動を力強く、粘り強く展開してきました。それが認められて、この6月に国連の「平和音楽賞」を受賞することが決まりました。わたしはその沖縄が生んだ、天才的なシンガーソングライター喜納昌吉さんの参議院選の立候補にあたり、推薦人の一人に加わりましたので、個人的に喜納さんの応援をしているのです。「キナ・ショウキチ」をよろしくお願い申し上げます、と周りに伝えているのですよ。

 昨日は午後3時から大宮駅で喜納さんのライブ+演説会があったので、法螺貝を持って応援に駆けつけ、日本の法螺貝とブータンのほら貝を吹いて、応援演説をしてきました。わたしたちは、「GNP(国民総生産)」という生活の量を求めるのではなく、「GNH(国民総幸福)」という生活の質を求めるブータンのように、精神文化を大切にし、国民的創造力を根っこのところから活性化しなければならないのではないか、そのためには、沖縄の地から逞しく全世界に届く平和文化活動をしているキナョウキチさんのような人に国会に出て行ってもらい、国会にも地域文化にも活力と気合を入れてもらい、一人一人の創造力を高めていくおもろい活動をしていきましょうよ。とまあ、こんなことを言ったわけです。短い時間ですから、こんなに要領よく話せませんでしたけどね。しっかりほら貝だけはブータンのものと日本のものを吹きまくってきました。

 わたしは、喜納さんが属している民主党を決して支持しているわけではありませんが(わたしはパーソナリティ的にも政策的にも「みどりの会議」が自分に一番近いかなと思っています)、憲法第9条を大切にして、それを中核に世界に向かって平和活動を推進する喜納さんには、ぜひ当選してほしいと思っているのです。

 憲法問題で言えば、わたしは、「改憲」でも「護憲」でもなく、とりあえず、「保憲」(現憲法を保持する)です。現憲法は、人類史の担保とも保険ともいえる内容を含んでいると思っています。そこで、今改憲に向かうことには強く反対していますが、しかし、憲法も人間が作ったもの、永遠ではないとも思っています。また現在の日本国憲法にもいくつかの点で、矛盾というか、「ねじれ」があると思っています。例えば、「国民の総意」という問題とか、象徴天皇と主権在民(国民主権)との関係とか。

 ところで、7月1日、新宿駅で、偶然、「みどりの会議」の小林イチロウさんの選挙演説に出くわしました。わたしは、生まれつきの緑好きですので、「みどりの会議」には頑張ってもらい、小林イチロウさんにもぜひ当選してほしいと思っています。「みどりの会議」のポリシーには、共感するところ、大です。

 さて、最後に、東京自由大学のことを報告したいと思います。鏡さんに東京自由大学で話をしていただいたのは、去年の9月でしたが、その後東京自由大学はNPO法人化の準備を進め、今年の2月4日に都庁に申請しました。ちょうどその4ヵ月後の2004年6月4日、「NPO法人東京自由大学」となりました。

 思い起せば、「東京自由大学」は1999年2月20日に、東京近郊に在住する市民有志の生涯教育や文化振興を目的とする任意団体として設立されました。以来、一人一人の霊性と深い精神性に根ざした自由な学問的探究と芸術的創造を旗印に、任意団体として4年半の活動実績を積み、2003年10月17日に「NPO法人東京自由大学設立総会」を開催して、2004年6月4日、東京都庁より「特定非営利活動法人」として認証されたわけです。

 「NPO法人東京自由大学」は、これまでの活動実績を踏まえ、より以上に広く一般市民を対象として、最先端の学問的研究や現代社会の諸問題や芸術に関する講座やワークショップやシンポジウムや合宿を開催することによって、生涯教育、社会教育、文化振興、自己研鑽に寄与していくことを目指していきたいと思います。今後とも、より公共的な透明度の高い社会実践に向かって前進いたしたく思いますので、よろしくお願い申し上げます。鏡さんもまた面白い話をしに来てくださいね。井村君江先生にも顧問をしていただいていますので。井村先生には来年また妖精や女神論や神話などの話をしていただきたいなと思っています。

 ところで、東京自由大学の初代学長は、画家の横尾龍彦先生でした。横尾先生は井村君江先生とも親しい仲間でしたが、今、横尾先生の個展がベルリン市文化庁の主催により、ベルリンのシャルロッテンブルグ宮殿のギャラリーで行なわれています。先月6月25日から来月の8月8日まで。

 このシャルロッテンブルグ宮殿のギャラリーで、横尾画伯が7月23日に瞑想絵画の描画パフォーマンスを行なうのですが、その時、石笛や法螺貝や横笛を演奏してコラボレートするためにわたしは7月19日からベルリンに行きます。

 ベルリンには、1995年の9月に一度だけ行ったことがあります。あれからほぼ10年経っているので、楽しみです。次回の満月の夜にはベルリン報告ができるかもしれません。

 なぜかわからないけど、ベルリンという都市は、わたしに、ニューヨーク・パンクのベルベット・アンダーグランドを思い出させます。ルー・リードはベルリンにとても似合うミュージシャンですね、なぜか。

 それでは、次の満月を楽しみにしています。世の中に創造性の活力が復活してきますよう祈ります。

2004年7月7日 七夕の夜に 鎌田東二拝

「付記」
*喜納昌吉さんや「みどりの会議」の小林イチロウ(一朗)さんについて書いてある箇所は、公職選挙法に抵触する怖れがあったために、選挙期間中は削除しておりましたが、7月14日から元の形に戻します。
2004年 7月14日 鎌田東二追記

【追記】
喜納昌吉さん、当選、おめでとうございます。喜納さんのこれまでの「すべての武器を楽器に!」という音楽活動を通じた平和運動が多くの人に理解され、支持されましたね。このことは、友人として、大変、嬉しいことです。心より、此れまでの活動に敬意を表し、また今後の活躍を祈念いたします。

しかし、にもかかわらず、わたしは、今回の選挙結果には、非常な危うさを感じています。以下、感じていることを列記します。

1、前回の衆議院選に引き続き、真の勝利者が、公明党であること。
そのため、公明党の発言権と権力が増大し、どう政局が転ぶか分からないこと。
2、宗教団体も、仏教の多く、また大本教など平和志向の教団は、護憲派、自衛隊の多国籍軍参加反対ですが、自民党と同調する改憲派・教育基本法改正派もいること。
3、今後、公明党・創価学会に反対するか、距離を置く平和希求の宗教団体の連携が必要であること。
4、同時に、公明党・創価学会、および所属個人に、本来の平和憲法重視・平和希求の精神を取り戻すようはたらきかけること。
5、民主党内の護憲派の理論的練り上げと、平和希求の政策的方法論(例えば、「平和大綱」「平和細目」など)の構築を呼びかけ、より具体的に、平和創造の対案も含め、再編・新築していくことが必要だと思います。

わたしは、「楽しい世直し」をしたいとずっと思ってきた人間ですが、よりいっそうそうした方向に取り組み、喜納さんのように、歌いながら、笑いながら、「ホラ」を吹きながら、「世直し」をしていきたいと思います。

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