2004/9 満月 - Moonsault Space
![]() 先月は「ブルームーン」でした。暦上の一月のうちに満月が二回めぐってくることをこういいます。Once in a bluemoonといえば、「めったいにないことのたとえ」であり、このときに願いをかけると成就するのだそうです。といいながら、そのブルームーンをすっかり過ぎてしまいました。お約束を守れずに申し訳ありません。 いいわけめきますが、めずらしく、というか大体2年に一度くらいのペースなのですが、高熱を出して寝込んでいたのです。40度近い熱を扁桃腺から出してしまって、自分でも驚きました。立てない、ということもなかったのですが、ほとんど何もできない状況で、たまたま週末だったのでよかったのですが(というか病院が休みなので痛し痒しですが)ほかの仕事が押せ押せになってしまい、またレターが遅れてしまいました。本当に申し訳ありません。 面白いというか皮肉なのは、天空を移動している火星が乙女座に入り、ちょうど僕の生まれたときの太陽にどんぴしゃ180度を形成したときに突然発熱したのです。もちろん、この星の配置は前もってわかっていましたから、占星術ライター仲間の女性には「大体こういときって、これまで熱出していたから気をつけなくちゃ」なんていっていたのですが、本当になってしまって泣き笑い。自己暗示かと思ったほどです。それにしても解熱剤を使っても熱がほとんど下がらず、何事かと思いました。 先生は医療についても考えていらっしゃるのでお話しますが、正直、近所の病院での対応には失望しました。月曜をまって病院にいったのですが、ほんの2分ほど問診しただけで「じゃあ解熱剤と抗生剤を出しておきましょう。これで様子を見てください。もし脱水など重篤な症状がでたらまた来てください」というのです。ろくな説明もなく、本当に診断がついているのだろうか、と不安になってしまいます。 その日、のどが痛かったのではたと思いつき、近所の耳鼻科にいったのですが、こちらの対応は素晴らしかった。というかむしろ普通なのでしょうか。扁桃腺の状態などを細かく説明してくださって、もともとこういう大きさの扁桃腺の場合、今後1,2年に一度こういうことはあるかもしれないので、前兆を感じたら早めに医者にいって対処するように、と丁寧に説明してくださり、それだけで安心することができたのです。インフォームド・コンセント、というほどのことはなくても、こんなちょっとした風邪だけでも説明がいかに心の安心に役立つかということを実感しました。 倫理とかなんだとか難しいことを考える前に、こんな簡単なことだけで患者のためになるんだなあとわかった次第です。人と人とが接することの基本かもしれませんし、とくに専門職と一般の人とのかかわりの核をなすものの単純さと難しさを見たような気がします。 さて、今日は友人が出した本を紹介させてください。タロット研究家の伊泉龍一さんが出された『タロット大全』(紀伊国屋書店出版)です。600ページを超える大著。現時点におけるタロットの知識のすべてを網羅したものといってもいいでしょう。 伊泉さんは僕と同世代であり、またこの世界での本当に数少ない、本音で話せる友人でもあります。タロットの大きな本といっても、独自の解釈が展開されているわけではありません。スチュアート・キャプラン、マイケル・ダメット、ロナルド・デッカーら最先端の研究家たちの仕事を紹介しながら、タロットの実像としての歴史、図像学、そしてオカルト化のプロセスなどを丁寧に叙述されています。 ある意味、僕が以前に出した『タロット こころの図像学』(河出書房新社)の大幅なバージョンアップ、ないしその完成形といってもいいかもしれません。従来のような神秘化されたタロットのイメージを実像に引き戻し、かつ、その上で豊穣なタロットの世界を紹介した稀有なものとなっています。海外に目をむけてもこれほど過不足なく、かつ、詳細に1冊のなかでタロットの知識と情報を詰め込んだものは見当たらないと思います。 自分が出来なかったのはいささか悔しい思いもありますが、これは日本のタロット業界における大きなランドマークになるのではないでしょうか。タロットに興味を持つ人には、まずこれを読め、ということに今後はなると思います。あるいは、その入門書として「こころの図像学」が位置づけられることになるでしょうか。 もっとも、伊泉さんの本と僕の本との違いは、僕のほうがずっとユング心理学に傾倒しているということですかね。これは80年代からユングに傾倒し、心理占星学の影響圏内にいた僕には仕方がないことかもしれません。ユング的な発想は、ある意味象徴的思考の型として僕の相当深いところにまでインストールされているからです。 さて、今月末にはなんとかイギリスにいこうと思っています。ケント大学で行われる小さな学会というかセミナーに参加したいのです。マルシリオ・フィチーノの専門家アンジェラ・ヴォス博士や占星術家ジェフリー・コーネリアス、リズ・グリーン、マギー・ハイド、さらに哲学研究のレオン・シュウルマンらが集って、元型心理学とルネサンスの宇宙観などについて論じ合うのです。 秋からマスコミ露出が増え、仕事が立て込んでいるので本当にいけるかどうかこの時点でも危ぶまれているのですが、なんとか時間を作っていってこようと思っています。 先生のほうの足の具合はいかがでしょうか。最後になってしまいましたが、ご無理なさいませんように。それでは。 またあわただしいレターではありますが、なにとぞご容赦を。また先生の『呪殺・魔境論』、楽しみにしております。 2004年9月3日 鏡リュウジ 拝復 鏡リュウジ様 風邪をこじらせ、40度の熱を出されていたとのこと。大変でしたね、ほんとうに。40度の熱というのは、大人には限界ですよ。扁桃腺から来る熱ということですが、さぞや苦しかったと思います。そんな中で、完全に回復されていないと思われますのにレターをお書きいただき、恐縮です。ありがとうございました。 実は、わたしもこの3週間、左足を骨折して、寝たきり生活をしています。これほど横たわっているのは、0歳児の赤ちゃんの時以来です。怪我の顛末は以下の通りです。わたしは、バク転・バク宙(後方宙返りのこと)をたまにしないと、頭がおかしくなりますので、1週間に1度くらい、大宮の自宅の近くの農業機械化センターの公園のようなところにバク転に行きます。8月11日と12日の両日も行って、柔軟運動とバク転などをして、家に引き上げようと帰り際に、公園の鎖のロープに足を引っ掛けて、もんどりうって転倒し、左膝を骨折するという大怪我をしました。 実は、翌日の8月13日に、月山山頂の月山神社で行なわれる先祖の御魂迎えの柴燈祭に参加するために、足慣らしと柔軟運動をしてそなえようとしていたのですが、連日のハードスケジュールで身体は限界域に達し、疲れて集中力を失っていたのだと思います。そのまま大宮日赤の救急外来に運ばれ、診察を受け、レントゲンを撮ると、左膝骨折・断裂とのこと。ギブス1ヵ月固定(全治3ヶ月)の処置を受けました。そこで、この1ヶ月絶対安静状態で、家を出られない状態となってしまったのです。幸い、入院ではなく、自宅療養でいいということになり、1週間に1度の通院をしながら治療しています。怪我をしてから3週間が経ちましたが、経過はほぼ順調で、あと1週間は安静が必要です。9月10日にギブスが取れますが、その後、3ヶ月間は松葉杖が必要との医者の話でした。 いやあ、大変でしたよ。仕事でもいろいろとキャンセルする羽目になり、関係の皆様には本当にご迷惑をおかけしてしまいました。が、幸い、ご厚意で、いろいろとご助力とご協力により、何とか乗り切りつつあります。関係各位には、心よりお詫びとお礼を申し上げます。 とはいえ、わたしの人生観は、昔から、「最大のピンチは最大のチャンス」というものですから、転んでもただでは起きません。身体が動かず、一人では何もできない生活を通して、いろんな学びがあります。病気ではありませんが、病人の心情や身体が動かない人たちの気持ちがよくわかります。30分もじっと座っていることができないので、ほぼ寝たきり状態です。ほんとうに、何事も一人ではできません。ギブスがこれほど大変なものだとは! 「がまんくらべですよ」と医者は言いましたが、本当でした。これまでの人生でこれほど横になっている時間は、赤ちゃんの時以来ですので、気づかなかった細かなもろもろのことを感じ直しています。そして、病気や怪我がもたらす「繊細の精神」を学びつつある、今日この頃です。 そんなこんなで、最近、時間があって、宗教新聞の『中外日報』に「宗教と文学」という連載をしていることもあり、ジョルジュ・バタイユやロートレアモンの本をあれこれと読んでいますが、ほんとに、おもろいですね、バタイユは。すごい思想家であり、作家だと思います。改めて、興奮しています。文学とは悪と向き合う認識する「霊的交通」の試みであるとか。エロティシズムは「死を賭するまでの生の讃歌」であるとか、贈与的関係が作り出す「普遍経済学」とか。思考が実に独創的で、深いです。また、とてつもなく、SF的でもあるのですよ、これが。「実に、ファンタスティック!」、です。 鏡さんは、しかし、熱を出していたのですから、この間、本を読んだりすることはできなかったでしょうね。友人のタロット研究家の伊泉龍一さんの出された『タロット大全』、600頁の大著ですかあ。どれくらいの時間をかけたのでしょうね。10年、15年、20年……。すごい精力が必要だったことでしょう。 一冊の本を仕上げるのも、本当に骨が折れますね。いのちを削ります。わたしも今日、9月3日に、『呪殺・魔境論』(集英社)が店頭発売になります。350頁の本ですが、それでもこれを書こうと決意してはや17年の歳月が過ぎました。わたしにとっては、懸案の本でした。これを出さねば責任は果たせないと思ってきました。奥付けの日付けは、「9・11」の鎮魂を込めて、「9月11日」としました。内容はまだまだ十分とは言えませんが、精魂を込めたつもりです。わたしの本は、一冊一冊がわたしの遺言というか、形見だと思っています。かっこいいような、悪いような言い方ですが。この本は、ホント、因縁の本、なのです。もろもろ。複雑怪奇で、とても一言では言い尽くせません。 この本の7割方は、2002年から2003年に文芸誌の『すばる』(集英社)に1年間、連載したものです。序章と終章を新たに書き、さらに、共同通信系地方紙や『中外日報』に掲載された山折哲雄氏との対談「最終解脱者の犯罪――日本人の心の針路を問う」も収録しました。山折氏との対談も白熱したものだったと思います。今年の建国記念日(2月11日)に京都の嵐山亭で対談しました。 わたしは、画家の鈴木正一さんの挿絵協力を得て、1年間、『中外日報』で「宗教と文学」の連載をしてきましたが、鈴木さんの挿絵付きでこの連載を一冊にまとめたいと思います。とても面白い、インパクトのある挿絵なのですよ。 それから、博士論文の『言霊思想の比較宗教学的研究』(青弓社刊予定)を早く出さねばなりません。博士論文は公刊義務もありますし。自分としても、自分の学問的な達成地点を世に問いたいと思います。それから、わけのわからん本を作りたいです。CDもわけのわからん、とても美しい楽曲『混沌』をリリースしたいし……。 死と再生ではありませんが、一度死んだつもりで、やり直したいと思います。生まれ変わり、ですわ。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。 最後に、9月11日に東京千駄ヶ谷の明治公園行なわれる今年のBe-inに、鏡さんも心理占星術研究家として参加してくださるとのこと。どうか、わたしの分まで、平和への意思と鎮魂の念いをお伝えくだされば、ありがたく思います。 2004年 9月3日 鎌田東二 |