2002/2 満月 - Moonsault Space
![]() 立春もすぎ、寒いながらも風のなかに春の匂いがたしかに感じられる季節になりました。前回のお手紙で事故にあわれたと伺ったのですが、その後はいかがですか。少し心配しておりますが、メーリング・リストに活発にメールを流されておられることから推察するに、大過なくお過ごしなのだろうと、胸をなでおろしています。そうですよ、先生。月のかなたへと帰還されるのは、もう少しあとにしていただかないと。まだまだ、先生にはこの世界でやっていただかなければならないことがあるはずなのですから。 さて、前回の先生のお手紙は、いつにも増して刺激的で僕の気持ちをゆさぶりました。ひとつの単純な理由としては、先生が僕の小さなエッセイをていねいに引用してくださったということがあります。お調子者の僕はそれだけでいい気になってしまいそうなのですが、改めて先生が引用してくださったところを読み返すと、あのころに直感していたテーマがいまや緊急の課題になっているのだということがよくわかります。大体、「出会い系サイト」がこれほど興隆するようになるなんて、僕は想像もしていませんでした。出会い系サイトが悪いなどとは思いませんが、恋愛や人間関係の形態が、新しい情報手段によって変化したのは確実で、そのための準備が僕たちの心の側にできているかどうか、今なお僕にはわかりません。 誰もが勝手に情報…それを昔風の言い方で「念」と言い換えてもいいかもしれませんが…を発信できるこの時代には、その情報=念の質を問う、サイバーな審神者が必要になるのかもしれませんね。洗脳の基本は偏った情報だけを与えることだといいますけれども(だからこそ破壊的カルトは閉鎖的な『サテイアン』を造ったわけでしょう?)この情報化の時代のひとつの問題は、あまりにも情報が多チャンネル化、セグメント化するために、「自由に」選ばれる情報が自然に収斂して偏向してゆき、個々人のなかで都合のよいものばかりが集められてゆく可能性が大きくなると思うのです。それがどのような展開を見せてゆくかどうかは、わかりませんけれども。 あのころ僕がいっていた「強靭さ」とは、自分にとって都合がよく甘い味のする情報ばかりを選択していかないようにする、「メデイア・リテラシー」とつながっているように思います。情報が念であるという解釈を援用するなら、サイバー空間も修行によって参入できる変成意識の舞台もさほど変わりはないわけで、そこをゆきかうさまざまなイメージ、アイデア、思考、欲望を流しつつ「魔境」に入らないでいられる力が、「修行者」のみならず、デイスプレイに向かう、ほとんどの人々に求められているのではないかと思うわけです。 そして、もうひとつには、先生が引用されている「トマス行伝」のなかの『真珠の歌』に僕の心は大きく揺さぶられたのです。 『真珠の歌』については、前回も引用したハンス・ヨナスの『グノーシスの宗教』で初めて知りました。真実の象徴である「真珠」を探しにいった「私」が、世俗とこの世の象徴であるエジプトに赴き、エジプトの食物を食べ、エジプトの衣をまとったときに、本来王子である「私」はその高貴な出自を忘れてしまうのでしたね。そして、それを遠い本来の世界から見ていた王子の父母は、鳥のかたちに姿を変える手紙を送ります。この手紙は、はるかな世界からの「呼び声」というかたちで王子へととどけられるのです。 この「呼び声」の美しさといったら! 少し引用してみますね。 「立て、汝の眠りから醒めよ。われらの手紙の言葉に耳を傾けよ。汝は王子であることを想起せよ。みずからの奴隷のさまを見よ、己が誰に仕えるかを見よ。真珠を思い起こせ、汝がそのためにエジプトに遣わされたかの真珠を……」 これは、先生の論を引用するなら「童」の神性の、これ以上はない表現のひとつではありませんか。 ハンス・ヨナスはグノーシスの宗教を「異邦人の宗教」とも「呼び声の宗教」とも呼びます。この世界に本来自分が属していないという、徹底的な疎外の感覚が、グノーシス的な魂をもつ人間をして「異邦人」だと感じさせます。そして、本来の世界からの「呼び声」が聞こえるというわけです。この青臭いまでの透徹した純粋さへの憧れは、思春期の少年少女が例外なく感じるものでしょうし、グノーシス主義ほど徹底した反コスモス性はないとはいえ、ジェイムズ・ヒルマンの『魂のコード』にもみることができます。そして、それはこの世のなかで「成長」して何かを「達成」するという英雄主義とは似て異なるものなのです。子供は育ってしまうと英雄になります。それは喜ばしいことかもしれませんが、しかし、子供の視点からみるなら、それは大人の世界への仲間入りであり、エジプト人の衣装をまとうことにほかならないこともあるわけです。稚拙な、しかし、このきらめくような感覚は、「30歳以上の大人のいうことは信用するな」という少し恥ずかしいまでの昔のロックソングにも現れていますよね。(どの歌だったか忘れてしまいました。きっとロックについても先生のほうがお詳しいでしょう?) この英雄主義と永遠の少年との対比にからめて、ちょっと脱線させてください。それは、今流行の『ハリー・ポッター』にたいする評価についてです。僕はハリー・ポッターは大好きでわくわくして本も読んだし映画も見たのですが、ときどき、この作品についての批判を耳にすることがあります。それは、ハリーは最初から特別の存在であって、成長してゆくのではなく、自分を「発見」してゆくにすぎない、というものです。しかし、忘却している自分を「発見」することよりも、何かを達成しながら「成長」してゆくことのほうが価値がある、「えらい」というときには、その発話者の背後には「英雄」「大人」のダイモーンが存在しているのを、僕ははっきりと嗅ぎ取ることができます。永遠の少年、童のアバターであるジェイムズ・ヒルマンはあるところで「大人は時を経て完成するが、子供はときのはじめから完璧なのだ」ということをいっています。もちろん、この世界で生きる以上、「清濁併せ呑む」器は必要でしょうし、過度なる清浄さを求める心性が、ときに狂信的なカルトにつながったり、現実逃避や甘えを生んだり、ときには、「超能力信仰」、そして成長する身体の拒否という意味での摂食障害などにつながることがあるということは、僕も承知しています。教会から不純なものをすべて放逐しようという、プロテスタンテイズム、ないし、その反動から起こった反宗教改革がひきおこしたイコノクラストよりも、ルネサンスの豊穣な教会美術や異教とキリスト教の奇跡的な結合を好ましく感じるのもたしかです。 しかし、だからといって、潔癖なる内なる永遠の少年、内なる賢治を殺してしまうこともないと思うのです。 ハンス・ヨナスの本を、入江良平氏とともに翻訳された、故秋山さと子氏は、この「内なる子供」の感覚にとても敏感な方だったのではないかと思います。正直に告白すると、秋山先生のご著書をきちんと評価するのには僕には時間がかかっています。先生のご本を読んだのは、まだ僕が高校生のころだったのですが(それこそ、青臭い、背伸びしたがる少年だったのでしょう)、先生がお書きになっていた女性もののエッセイのせいもあって、「軽いユング入門書やエッセイを書く人」という印象が強すぎたのです。しかし、今となっては、秋山先生のご著書を読むと、そのはしばしに永遠の少年・少女にたいするやむことなき愛情が、行間にきらきらと光っていることがわかります。そのきらめきは、僕の心臓をいたく刺激するのです。 ここでもまた、それが幼児的ナルシズムだ、という批判が聞こえてきそうですが、そういう人には、きっとよくわかっていないのでしょう。「永遠の少年・少女」は、「運命」やら「星」やらと同じように、生身の人間がそのままでは生きることができないものだということに。子供の声は、はるか遠いところからの呼び声として、大人のなかに、いや、とうの子供にとってすらもはるか「東方から」響いてくるだけの、強烈ではありながらもかすかなものだということに。 思春期の子供たちがときおり、荒れ狂うのは、きっと、その「声」が引き起こす衝動の強烈さのためなのでしょう。衝動は強烈であっても、声の中身はあまりにも不明瞭であり、その力をどこへ向けてよいのかわからないのです。本来不明瞭であいまいな声を無理やり「増幅」し、「命題化」したときに、きっと偏狭でつまらない、あるいは危険なカルトが生まれると思うのですが、いかがでしょうか。 さて、この世の汚辱ということについて考えると、さしあたっては人間のなかにある欲望とどんなふうにおりあうか、という問題にぶつかります。このことについては、僕の年上の友人であり、ときどきワインを飲みながらお話をうかがわせていただくある映像作家の方が面白いことを話されていたので、ご紹介させてください。進化論や宇宙論にも詳しい、そのNさんは最近の政治家の腐敗や大手企業のモラルの低下などを嘆きながら、いかにも進化論者らしく、「人間はやはりサルだということを認めなければならない」と言い放ちました。いや、そういってはサルにも失礼でしょう。サルは本能の規制によって自らの種や集団を破壊するような方向には動きませんから。しかし、ヒトの場合には、反対の本能の規制がうまく働かないせいか、ある欲望(たいていの場合、縄張りの維持でしょうか)が働き始めるとそれが際限なく現れてしまう。制御不可能だとも思える欲望マシンとしての身体、あるいは、身体を象徴とするこの世に生まれてきた意識がヒトだとすると、これはまさしくグノーシス的主題となりますよね。 問題はこの欲望をどのように処理してゆくか、ということなのだとNさんはおっしゃるのです。掛け声だけではだめで、それを可能にする合理的かつ論理的な戦略が必要なのだと。それがどんなものかは、具体的に聞かせていただくのがとても楽しみなのですけれど。 またとりとめもなくなってしまいました。僕は3月で誕生日を迎え、またひとつ歳をとります。永遠の少年の元型をどんなふうに生かしてゆけばよいのか、ますます迷いは多くなりそうです。 そんなときには、また先生にお手紙を書かせていただきますね。春の気配の中に、あの「呼び声」がかすかに聞き取れますように。 2002年2月23日 鏡リュウジ拝 拝復 鏡リュウジ様 鏡さん、沖縄から東京に戻る飛行機の中でこのレターを書き始めます。その方がレターに沖縄の香りと潮風が吹き渡るでしょうから。わたしは、2月22日から24日まで、猿田彦神社奉賛講沖縄巡拝旅行に先達的な立場で参加しました。総勢、23名。猿田彦神社の熱心な崇敬者の聖地巡礼ツアーです。 この催しは、猿田彦神社の遷座祭が行われた1997年10月の翌年の1998年から始まり、これまで毎年1回、早池峰・三内丸山(第1回目、1998年、岩手・青森)、霧島・高千穂(第2回目、1999年、鹿児島・宮崎)、佐太神社・出雲大社・加賀の潜戸(第3回目、2000年、島根)と参拝してきて、今回がその第4回目となります。 沖縄最高の聖地で、2年前に世界遺産にも登録された斎場御嶽や久高島、中城、万座毛、首里城などを那覇市文化協会事務局長の佐藤善五郎さんと共に参拝・見学し、元琉球大学教授で猿田彦フォーラム顧問の仲松弥秀先生を表敬訪問しました。仲松先生は今年95歳になられます。地理学専攻で、地名の研究や沖縄の村落研究で功績をあげられ、『神の村』(伝統と現代社)などの著作があります。沖縄を代表する民俗地理学者です。仲松先生が、沖縄の通過儀礼でもっとも晴れやかに祝う97歳の誕生日の「カジマヤー(風車)」を迎えられるほどお元気でいてほしいと切に願います。 わたしはこの2週間の間に2回も沖縄に行きました。2月11日から16日までは沖縄県立芸術大学で集中講義があり、「聖地と芸能」というテーマで講義とフィールドワークを行いました。授業でも斎場御嶽と久高島と首里城やその他の御嶽には出かけていたので、続けて2回も参拝したということになります。斎場御嶽では、祝詞、石笛・法螺貝・横笛のほかに、ギターを持参し、神道ソング3曲「弁才天讃歌」「神」「フンドシ族ロック」を奉納演奏しました。授業も「聖地と芸能」がテーマゆえ、節目節目に講義内容と関連する神道ソングを歌いました。最新曲(140曲目)の「一番星が空となる」が一番受けましたね。 ところで、鏡さんも「神の島」と言われる久高島には行かれたことがあるということですね。鏡さんは、何時行かれたのでしょう。そしてそこで何を感じられたでしょうか。わたしは久高島には12年前に初めて渡りました。クボーノ御嶽、伊敷浜、カベール岬、ガー(聖泉)など、心に、というよりも、もっと深く、魂に焼きついています。 岡本太郎は、1960年、当時「外国」(占領軍支配地)だった沖縄に出かけ、久高島にも渡っています。その記録を「中央公論」5月号に「『何もない』ことの眩暈」、同11月号に「神と木と石」題して発表し、その後、『忘れられた日本――沖縄文化論』(中央公論社、1961年)として出版し、大変話題を呼びました。ラディカルで民族学の素養のあるアーティストから見た異色の沖縄日本文化論でしたから。岡本太郎は戦前、パリのソルボンヌ大学で、世界的に著名な民族学者、マルセル・モースから民族学(文化人類学)を学び、思想家で『エロティシズム』や『眼球譚』の著者、ジョルジュ・バタイユと親交を結び、当時のヨーロッパの最新・最高の知性と激突します。 その岡本太郎は、沖縄の御嶽のことを「『何もない』ことの眩暈」の中で、次のように書いています。 「私を最も感動させたのは、意外にも、まったく何の実体も持っていない――といって差支えない、御嶽だった。 御嶽――つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過ごしてしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何もないということの素晴らしさに私は驚嘆した。これは私にとって大きな発見であり、問題であった」 また、「神と木と石」には次のような久高島の御嶽についての刺戟的なエッセイを書いています。 「平たい久高島に、直角に陽がつき刺さっていた。白茶けた耕地。それをとり巻いて、ささくれだった阿壇の林。そらは濃く青く、緑はナマ、白い小道がギラギラしている。色、光は激しいのに、物音一つしない。この真空のような風景の異様なひろがりは、ふと小島の中にいることを忘れさせる。 (中略) 高々としたクバの木が頭上をおおっている。その下には道があるような、ないような。右に曲がり、左に折れ、やがて、三、四十坪ほどの空地に出た。落葉が一面に散りしいて、索漠としている。「ここです。」 気を抜かれた。沖縄本島でも八重山でも、御嶽はいろいろと見たけれど、何もないたって、そのなさ加減。このくらいさっぱりしたのはなかった。クバやマーニがバサバサ茂っているけれど、とりたてて目につく神木らしいものもなし、神秘としてひっかかってくるものは何一つない。 (中略) 何の手応えもなく御嶽を出て、私は村の方に帰る。何かじーんと身体にしみとおるものがあるのに、われながら、いぶかった。なにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。それは、静かで、幅のふとい歓喜であった。 あの潔癖、純粋さ。――神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向かいあうのだ。のろはそのとき神と人間とのメディアムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する。そして一たん儀式がはじまるとこの環境は、なんにもないゆえにこそ、逆に、最も厳粛に神聖にひきしまる。 日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければこんな、なんのひっかかりもないような御嶽が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。――こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。この御嶽に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。 それにしても、今日の神社などと称するものはどうだろう。そのほとんどが、やりきれないほど不潔で、愚劣だ。いかつい鳥居、イラカがそびえ、コケオドカシ。安手に身構えた姿はどんなに神聖感から遠いか。とかく人々は、そんなもんなんだと思い込んで見過ごしている。その物々しさが、どんなに自分の本来の生き方のきめになじまないか、気づかないでいる」 実に的確で鋭い指摘ですね。岡本太郎の美術作品はどうしても好きになれないし、いいとは思わないけれど、彼のエッセイは秀逸です。すごい洞察力と表現力です。まったく同じものを私も感じました。岡本太郎の『神秘日本』(みすず書房)という本は、ほんとうに心の底から、いや、魂の深みから同感させられるところが少なくありません。太郎という人間は本当に面白く、イッテますね。人間岡本太郎は大好きです。生きている時に会ったらたぶん大喧嘩したでしょうけどね。以前、中上健次と対談した時も喧嘩したように。けれどそれは、きっと「清潔な」喧嘩であったでしょう。太郎は文章をさらに次のように続けます。 「はじめは清らかに単純だ。美しくしずまった森。神託によって定められた聖域が氏族生活の中心だ。その秘めた場所に、ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる。それにつながり、受けとめることをぬきにして、彼らの生活の原動力を考えることはできない。 そびえたつ一本の木。それは神がえらんだ道。神の側からの媒体である。この神聖なかけ橋に対して、人間は石を置いた。それは見えない存在へ呼びかける人間の意志の集中点、手がかりである。 自然木と自然石、それが神と人間の交流の初源的な回路なのだ。 この素朴な段階でこそ、神と人間は相互に最も異質でありながら、また緊密だった。人間は神を徹底的に畏れ、信じた。 やがて形式主義がはじまる。ただの石ころから四角い切石の体裁に。神と人間の通いあう清冽な流れの中に、人間の匂いが、一種の夾雑物としてまじりはじめるのだ。それは自己増殖する」 聖地の始まりは、おそらく岡本太郎が言うようであったでしょう。「超自然のエネルギー」が降りてくる場所、あるいは噴き上げてくる場所。沖縄が生んだ天才的なシンガーソングライター喜納昌吉は、「天と地の交わるところ 祭りがある」と言っていますが、まさに天のエネルギーと地のエネルギーと人のエネルギーが交わり、交差する霊肉の十字路こそ聖地であり、そこでの祭りや芸能なのだと思います。けれど、その人間の「思い」がだんだんと「重く」なり、濁り始めると、そこには神への畏れも信仰も「形式主義」の「ものものしさ」や権力装置としての聖なるものの位階が整序されてしまいます。神の声を伝える言葉としての「おもろそうし」が人間の欲望の重い装置に成り下がってしまうのです。岡本太郎はその危険と歴史過程をはっきりと見抜いています。その慧眼はすごい、です。 沖縄は日本の民俗学にとって母胎・原風景ともいえる土地です。わたしは特に宮古諸島の大神島に行ってそのことを実感しました。大和の三輪山の信仰と大神島の信仰との間に地続きの波動と構造を感じとったのです。神道の原型は沖縄に残っていると強く感じました。柳田國男や折口信夫も大正10年に沖縄に渡り、同じような思いを持ったでしょう。 面白いことに、沖縄はアイルランドともとても似ています。今回は中城(ナカグスク)に行きましたが、そこなどアイルランドのお城と本当によく似ています。確かに、気温と植生には大きな違いがあります。しかし、それ以上に、空気感、山・海・丘・緑、光の変化、ゆるやかに流れる島の時間など、その場所を構成する諸要素が共通し、そのためか、全体としてとても似た雰囲気や感じが出来上がるのです。 アイルランド音楽のグループ、チーフタンズのメンバーが、沖縄、それも八重山諸島に行った時に、アイルランドにいるような錯覚に陥ったという話を聞いたことがありますが、本当にそのことはよくわかります。アイルランドを回っていて思い出すのは沖縄のこと、そして沖縄を回っていて思い出すのはアイルランドのことです。 3年程前に沖縄を舞台にした映画『ナビィの恋』が大ヒットしました。その中に、アイルランドのフィドル(バイオリン)奏者が沖縄出身のオペラ歌手を追いかけてくる話が挿入されていました。そのアイルランド人が奏でるアイリッシュ・ミュージックが沖縄の島歌にぴったり合っていました。元ネーネーズの古謝美佐子さんも、沖縄の歌とアイルランドの歌の類似にびっくりしていました。 ナビィは、アイルランドのことを「愛してるランド」と間違っておぼえますが、やがて60年ぶりに再開したかつての恋人サンラーとともに小さな釣り舟に乗って「愛してるランド」に渡ってゆきます。その行き先は、わたしには、魂の原郷としての「ニライカナイ」と確信できました。アイルランドには常若の島としての「ティル・ナ・ノグ」信仰がありますが、それはニライカナイ信仰ととてもよく似ています。 鏡さんとのメールのやりとりを通して、そんなことをいろいろと考えました。鏡さんが取り上げている「ハリー・ポッター」などは、これはまさにアイルランドやウェールズやコーンウォールのケルトの魔術的世界をバックボーンとして持っていますね。鏡さんは、ハリー・ポッター役の少年によく似ていると思います。この小説も、映画も見ましたが、まずまずというところでした。ケルト的な世界を背景にしていることがわかると、興味も倍増する感じです。 でも、つい先だって、鳴り物入りの『ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)』の試写を見たのですが、どうにも入り込めませんでした。感動はなかったです。作り物めいて、リアルな感じがまったくせず、これがハリー・ポッターを抜いて大ヒットしているのか、アカデミー賞候補にあげられているのか、と訝りました。大スペクタクルで、エンターテイメントで楽しめることは事実でしょう。でも、それだけ。後に何にも残りません。続きを見たいという熱望感は生まれませんでした。どうしてでしょう。 ハリー・ポッターが、ある種、特権的な11歳の少年であることは間違いありませんが、それはあらゆる神話的物語の常套手段で、折口信夫はそれを「貴種流離譚」と呼びました。この世の俗に落ちた「貴種」が自らを「発見」し、自らの使命に気づいてゆくというのは、グノーシスの「真珠の歌」とも共通するモチーフですね。そしてそれは、わたしたちの魂の「どんぐり」(ヒルマン『魂のコード』鏡リュウジ訳、河出書房新社)に気づくプロセスです。ハリー・ポッターのそのプロセスは、わたしにはとてもよくわかります。ハリー・ポッターは、単純明快なステレオタイプなストーリーですが、『指輪物語』は実に凝っています。トールキンは大変な凝り屋で、その点はクロウト筋をうならせるほどのものがあります。でもわたしには、いまひとつ、でした。むしろ、グノーシス主義の文献の方がぐいぐいと魂の深層に入り込んでくる感じで、思わず引き込まれてしまいます。 ところで、鏡さんは3月生まれですね。わたしも3月生まれです。ですから、この2月から3月にかけての春に向かう季節は、わたしにとって特別の晴れやかさを持っています。お彼岸にわたしは生まれました。そのためか、自分の生まれたこの3月の春の季節はわたしにいつも聖なるものの到来を感じさせます。どうか、この季節を充分に味わってください。わたしもドイツの地でこの季節を味わってきます。3月に2週間ほどドイツに行き、ミュンヘン郊外のキムジー湖の中の小さな島の中にある聖ベネディクト会の修道尼院で、イスラムのスーフィーが主催する「第2回インターナショナル・ウインター・スクール」に講師兼パフォーマー&神道ソングライターとして参加してきます。次回にその報告もできるでしょう。ではまた次の満月の夜に。ごきげんよう。 2002年2月25日 鎌田東二拝 |