2003/3 満月 - Moonsault Space
![]() 今日は、3月12日、アメリカからの帰りの飛行機の中でムーンサルトレターを書き始めます。わたしにとって初めてのアメリカ大陸上陸体験です。3歳の頃、徳島の田舎の橘湾という小さな港町で、祖母に手を引かれて、突然、「ぼくは、あの白い船に乗って、アメリカに行くんだ!」と言ってから、50年近く経って初めてアメリカに行くことになりました。黒船でも白船でもなく、ノースウエスト航空のジャンボジェット機に乗って。アメリカのイラク攻撃が近づいているかに見えるこの頃ですが、今回はわたしのアメリカ体験を書いてみたいと思います。 3月2日、わたしたち文部科学省科研費研究「脳死・臓器移植の比較宗教学的研究」の研究チームは、といっても、研究代表者の町田宗鳳東京外国語大学教授(比較宗教学)とわたしは、勇んでサンフランシスコ空港に降り立ちました。そこで、先にアメリカ入りしていた上田紀行東京工業大学助教授(文化人類学)と合流し、その足ですぐロスアンジェルスに向かいました。わたしの最初のサンフランシスコ(聖フランシス)体験は、空港の空気をすっただけ。いや、空港で上田紀行さんと合流しただけという貧弱なものでしたが、その後が実にゴージャスで、神秘不可思議に満ちたものでした。聖フランシスは確かにわたしたちを導いてくれていたと確信します。 ロサンゼルス空港に降り立ち、出迎えの伊豆有加さんを待つが、いつまで経っても現れず、日にちと待ち合わせ場所を間違えたのかと不安になっていた頃にやっと車が到着。UCLA出身で小学校の先生を目指している日系人のT君の運転でパラマハンサ・ヨガナンダが創立したセルフ・リアライゼイション・ヘローシップのレイク・シュラインへ向かい、ガンジーの遺灰を祀っている記念碑に向かって法螺貝を吹き鳴らしました。ヨガナンダはガンジーにクリア・ヨーガを教えたとのことです。そして、ガンジーは獄中でクリア・ヨーガを修行していたとか。本当にそうなら、ガンジーの非暴力実践を支えたものの一つは、クリア・ヨーガだったのかもしれません。わたしはガンジーの非暴力思想を大変尊敬し、評価しているのです。 20歳過ぎに、水も飲まない1週間の完全断食をし、体質が変わりましたが、その頃、笠井叡の『天使論』や『ヨーガ・スートラ』とともに、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』(現在は、森北出版より出版されている)を読んで、大変不思議の感に打たれていたのです。そのヨガナンダに30年余を経てアメリカで出会うとは。そしてそこにガンジーの遺灰があったとは。わたしの最初のアメリカ体験とは、ロサンジェルスのインドとヨガナンダとガンジーと日本人というアジア的なもので、そのために、アメリカが「西洋」ではなく、「東洋」の国かと思えたほどです。もちろん、アメリカ東部はヨーロッパ各地からの移民が多く、「西洋」の縮図といえるところでしょうが、アメリガ西部、特にカリフォルニアはアジア諸国からの移民が多く、その意味で「東洋」の出先機関とも言える感じがしました。わたしの最初のアメリカ体験とは、アメリカの中の「東洋」や「アジア」を確認する体験となりました。 ヨガナンダが教えた瞑想や思想を学ぶ人々の本部のマザーセンターを訪問し、ヨガナンダの高弟のアモンダモイ師と話し合う機会を持ちました。ヨガナンダの師のスワミ・ユクテスワは『聖なる科学』(森北出版)の冒頭で、「あらゆる宗教の間には、本質的な一致点があり、種々の信仰が説く真理も、帰するところは一つである」「本書の目的は、種々の宗教の根底に横たわる一致点を指摘し、相互の融和をはかることである」と述べていますが、このような「万教同根」ないし「万教帰一」的な思想と実践は、大本教の出口王仁三郎も展開したところです。ヨガナンダは体型もその思想も出口王仁三郎によく似ているように思いました。 翌3月3日、雛祭りの日には、ロスから南200キロにある国立公園ヨシュア・ツリーに出かけました。「別の天体みたいだよ」と、弁護士を廃業してスピリチュアル心理学を勉強しているB&Bのオーナーは、教えてくれました。確かに、巨岩の林立する砂漠の風景はアナザー・プラネットのようだとも言えますが、わたしが興味を持ったもっと大きな理由は、アイルランドのロックバンド・U2のアルバムに「ヨシュア・ツリー」があることです。U2はこの土地に聖なる何か、ヨハネの木のメッセージを聴き取ったのか。それを確認してみたいと思ったのです。わたしはU2のそのアルバムの中の「with and without you」が大好きなのです。そのヨハネの木の聖地で、法螺貝を吹き鳴らしました。 サンフランシスコでは、今回の主たる目的であるバイオ産業の拠点をリサーチしました。冷凍人間を保管しているという、その名も「トランスタイム社」。そのあまりにいかにもいかがわしい会社を訪問しましたが、ベルを押しても誰も出てこず、電話をしてもジャックという男性の留守番電話が入っているだけで、要領を得ません。怪しいことこの上もないこの会社は、カリフォルニアの思いっきり怪しい一面を見たような気がしました。 その次に、幹細胞や人体組織を製品化しているジェロン社を訪問しました。この会社は、日本の製薬会社の協和と提携しているとのことでしたが、膨大な資料を提供されただけで、さよなら。さらに、クローン技術を使って企業や大学に提供する実験資料を開発しているクローンテク社を訪れました。ここは、親切丁寧で、説明もしっかりしていました。急成長を遂げているバイテク関連のベンチャービジネスという感じでした。 それから、スタンフォード大学に2日間通いました。そこで、医者でもあり、キリスト教神学や生命哲学からの著作もある生命倫理のウィリアム・ハルバート教授と出会いました。彼は、ブッシュ大統領生命倫理諮問委員会のメンバーですが、実にバランスの取れた柔軟で洞察力のある人物に思えました。彼の娘がハンディキャップを持って生まれてきたこともあってか、彼はいのちの尊厳に対する深い確信と信仰を持っているように感じました。3月5日には、スタンフォード大学の学生たちの反戦集会が開かれていて、それに参加し、一緒にシュプレヒコールを挙げ、署名し、またもや学生たちに混じって法螺貝を吹いてきました。そして、非戦のしるしの「緑のハチマキ」をもらってきました。「グリーンマン」の化身であるわたしとしては、反戦のシンボルが「緑」であることがとても嬉しく、縁を感じました。その日はまた、カリフォルニア大学バークレー校でも大規模な反戦集会が開かれたようですね。これらの学生の動きは、かなりなニュースになっていました。 その反戦集会は、カリフォルニアの風土と伝統もあってか、歌や踊りを伴う楽しげなもので、歌あり、踊りあり、トークありの賑々しいものでした。一種のお祭り。その夜、宿泊させていただいた、町田さんの旧友で、バークレーの世界的に著名な数学の教授ロビン・ハートショーンさんは、ブッシュ大統領の政策に辛らつな批判をしていました。そのブッシュの政策でカリフォルニアの景気もがくんとダウンしていると言っていました。その後訪れたカナダのノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学の環境学の教授たちも、イラク開戦に反対のリボンを胸につけ、意思表示していました。それはブルーでしたね。 今回の調査旅行で、面白かったのは、ファーストネイションズピープル(ネイティブカナディアンのことをこう呼ぶ)のエルダーの女性メアリー・ジョンさんとお会いしたことと、バンクーバー近くのネイティブの聖地「チーフ岩」を発見したことです。そのエルダー・マザー(最長老の女性)のメアリーさんは、差別や抑圧をくぐりぬけて、やさしさややわらかさに到達した人だと、その強さと感化力に深く感じ入りました。彼女の自伝的な本『ストーニイ・クリーク・ウーマン』は大変面白い本です。いずれにせよ、何をやるにも、たえざる人間の練磨が必要ですね。もうひとつの巨岩は、見ただけで圧倒されましたが、その巨岩のパワーは強烈でした。 さて、わたしは、今日、3月17日から3月28日まで、今度は、ヨーロッパのフランス・ドイツ・イギリスに行ってきます。そこで、彼の地の非戦運動と連携してきたいと思っています。ドイツでは、イラク出身のイスラム教のスーフィスト主宰のインターナショナルスクール「身体・心・魂のコミュニオン」の講師として、主として神道や日本の神仏習合の宗教文化の立場から参加するのですが、1週間のワークは、キムジー湖の修道尼院で泊まりこみで行われます。このワークショップの主催者のラシッドさんは、大変面白い、興味深い人物です。彼と一緒に恐山のイタコの口寄せを見に行ったことがあります、そこでわたしたしは、「山姥アクティビティ」を発見したのです。以上、今回は主としてアメリカ・カナダ報告でした。この3月は、鏡さんとわたしの誕生月ですね。コングラッチュレイション! 2003年3月17日 鎌田東二拝 拝啓 旅から旅へ、非戦と聖なるものをつなぐお仕事をされている鎌田先生へ お手紙ありがとうございました。今回のレターは、旅と旅の合間を縫って交換されるもので、いつもとは逆に先生から先に送っていただいてしまいましたね。じつは、僕のほうはこの満月直前に、長崎に旅をしてきたので、少しタイムラグができてしまいました。さて、初の先生のアメリカ体験、興味深く読ませていただきました。先生がアメリカを訪ねられたのが初めてだというのは、少し意外な気がします。よくもわるくも日本にとってもっとも近い(経済的に、あるいは大衆文化的に)国はすでにアメリカになっています。仕事がらみで旅をするときに、アメリカが多くなってしまうことは不思議だけども事実です。実際、僕の友人などは、東京とニューヨークを往復しているようなヤツも何人かいて、彼らの心理としては、たとえば、京都などよりもニューヨークの町のほうがずっと心理的に近いようなのです。 僕はアメリカは、占星術がらみの学会などで年に1度くらいは訪ねています。ついつい心理的に近しいイギリス人に味方して、「ミッキーマウス・カントリー」を揶揄したくもなってしまうのですが しかし、それでも巨大な実験国家アメリカのもつ力や理念、そして、その多層性をみたときに、大変に圧倒されてしまうことがあります。先生は、アメリカのさまざまな宗教センターを訪ねられて、まず、「アメリカの中の東洋」を感じられたようですが、その感覚は僕にはよくわかります。遅れてきた神秘主義者である僕は、次々に翻訳されていたカルフォルニア発の「精神世界」の波を浴びながら思春期から10代の後半を過ごしました。 バークレーのボデイツリー書店は実際に行ってみるまで僕にとっては「聖地」でしたし、ホールアースカタログの存在や、数々の禅センター、もちろん、それらを理論的に跡付けようとしていたトランスパーソナル運動などは、人格形成期の僕にとって大きな影響を与えました。68年生まれの僕にとっては、70年代に開花したそうした運動は「すでにそこにあったもの」であって、逆に後追いしつつ、カリフォルニアからの風を感じていたというわけです。コックスの「東洋へ」が売れたのもその時代でしたっけ。ロザックのいう『対抗文化の思想』を、リアルタイムで生きることができたなかったことを僕は半ば残念だと思いながら、どこかで安堵していた、どうもそんなかんじがするのです。 熱い熱狂に巻き込まれることもなく、成熟期、ないし安定期に入りつつあった東洋熱を感じながら、「精神世界」へと接近していった、ということなのでしょうか。(こう書いていると、なんだか「霊的シラケ」世代という言葉が浮かんできましたが、けれど、けしてそういいきってしまえるタイプではないと思うのですよ、僕たちは。彼らから学んだことは、どんなものでも「新しい」ものはそうそうなく、そうした「若い」運動が失敗する可能性のほうが高いということでした。僕たちの世代は、カルフォルニアの霊性的な勇み足をどこかで冷ややかに見つめる冷静さを身につけることができたのではないかと思うのです。けれど、絶望はしていない。何か道があるはずだと感じている。これは僕と同じ年の、この世界では異例なほどの読書家であるタロット占い師、伊泉龍一さんと3日前に話していて感じたことです)しかし、その若さ、実行力こそがアメリカの精神のすごいところでしょう。まずはやってみる。飛び込んでみる。こういうことを大人ができるというのはアメリカ社会の最大の長所だと思うわけです。 と同時に、アメリカのすごさはその自然です。地球の生の姿というものがもしあるとすれば、アマゾンがそうであるというのと同じように、アメリカの砂漠やグランドキャニオンもそうでしょう。広大なアメリカからすれば、ほんのわずかなはずの、ロスからサンタフェまでのドライブだけでも、僕はアメリカから「地球」という惑星をイメージさせられてしまったのです。えんえんと続く道路。その途中に点々と存在する、恐ろしくまずい食物を出すステーキハウスやファミレス、殺風景なモーテル。これらはアメリカの文化の貧困さを表すものというよりは、アメリカという大陸がもつ圧倒的な自然の力を逆に照射しているとしか思えませんでした。 昨年はフロリダのデイズニーワールド中で占星術の学会があって、そのなかで1週間を過ごしたのですが、これがまた僕には過酷でした。立派なホテルのなかで過ごすわけですが、結局、圧倒的なミッキーマウス世界のなかにいるほかはなく広大な敷地のなかで恐ろしい閉塞感に押しつぶされそうになりながら学会の終わりを待ったということを覚えています。アメリカという精神がもつ楽観主義と開拓精神、そして、それが創りあげる不思議な世界とその背後にある巨大な「自然」の三つ巴のスケールは、僕には眩暈を感じさせるに十分だったのです。これは一筋縄ではいきません。なんとか対峙してゆかねばならない。その方法を考えなくては。 さて、長崎は松岡正剛さんとごいっしょしていました。松岡さんがこっそりと主催されている集まりがあって、半年に1度くらいの割合でさまざまな趣向をこらして企画をされているのだそうです。粋な遊びが好きな人たちの集まり。今回の参加者は35名ほど。あまりその存在をおおっぴらにはされていないそうなので、その会の名称だとか詳しいことはここでは内緒にさせてくださいね。なんだか昔の薔薇十字趣味の集まりのようですね。 さて、今回は、僕の翻訳書『月と太陽でわかる性格事典』を肴にして遊びながら松岡先生との対談や、松岡先生の恐ろしい脳データベースのなかから長崎が日本の近代化において果たした役割のお話、かつ僕のタロット談義をまじえつつ、卓袱料理を堪能したり、出島やらグラバー邸やらを観光しつつのあっという間の二日間でした。出発直前まで、さっき名前の出た伊泉さんらとワインを飲みながらタロット論などを話していたために、羽田に向かうまで一睡もせずにいたという状況だったのですが、ついたらついたで、すっかり元気も回復。おいしい料理、宇宙論、占星術論などをまじえながら、松岡事務所のスタッフの方の完璧なしきりもあって、贅沢な時間を過ごすことができました。こういう贅沢さは、ほんとうにこの時代にあって貴重なものですね。 さて、先生はアメリカの次はヨーロッパですか。それがまた有意義なものになりますように。そして、戦争を止める力になりますように。 鏡リュウジ拝 |