2003/4 満月 - Moonsault Space

拝啓 鎌田東二先生

 瞬く間に東京では桜も散ってしまいました。ぐずつく天気の日も多いようですが、春の雨はけしてきらいではありません。なんだかしっとりとして、そして一雨ごとに暖かさが増してゆくような気がして。大地を潤す水のありがたさを身近に感じます。先生のアメリカについでのヨーロッパの体験はいかがだったでしょうか。僕はヨーロッパといっても、実際に足を踏み入れたことがあるのはイギリス(もちろんですね)、フランス、イタリアだけなので、なんともいえないのですが、ヨーロッパという複雑な文化の交差路のなかで先生がどんな感想をお持ちになるのか、とても楽しみにしております。

 戦争は一見終結の方向に向かっているように見えます。長期化するかと思われた戦争も、やはりアメリカの圧倒的な軍事力の前に、フセインの政権は瞬く間に倒れました。まるで聖書の「ヨブ記」に登場する神が、人間ヨブにたいして、海の怪物レヴィアタンさえもオレは釣りあげることができるのだぞ、といきまいたあのシーンを思い出します。人類史上最も強力な軍事力をもった国家がこれから何をしようとするのか、本当に見つめてゆかねばならないと思います。けれど、同時に、このような国家同士の戦争だけではことはすまないことはもはや明白です。毒物やら小さな爆弾やらときにはナイフ一本ですら、テロの道具になることは、9.11以来明らかになってしまったわけですから。『戦勝国』もそうでない国も、おびえを感じながら生きなければならない、そんな時代になってしまったのですね。

 今年は、火星が記録的な大接近をします。ふつう火星は二年半に一度は接近するのですが、しかし、今回のは超がつくほどの大接近だそうで、同程度に火星が地球が近づくのは過去2000年間にはなかったと計算されています。計算の仕方によっては、もしかしたら、クロマニヨン人が体験して以来、初めての超接近だという学者もいるくらいなんだそうです。火星が今年の夏には大きく不気味に輝くことでしょう。占星術の上ではこの時期には火星は魚座にあって、ある種の熱狂や自己犠牲の精神を暗示するものだと考えられているのです。この火星の超接近は、人々のなかの暴力性がさらに発揮させられることを意味する不吉の前兆なのでしょうか。

 僕は、単純にはそうは考えたくはないのです。ある惑星の輝きがまし、大きく見えるということはそれまで無意識的であったものが意識化されるということを象徴する、と考えたいのです。巨大な空に浮かぶ火星は、人類という種がもつ戦いの本能のようなものの存在を否が王にもつよく見せ付けるでしょう。バビロニアのネルガル、ギリシアのアレスなど、血で血を洗うのを好む戦いの神はたくさんいるのです。それを亡き者、存在しようとしないものとして無視しようとすると、ユングのいうようにそれはかえって強くあらぶることになるでしょう。その暴力性をどんなふうに意識するかというのが、自己認識という力をもつ稀有な生き物であるヒトのためのものではないだろうか。

 集団の心理や国家の問題ではありませんが、面白い本を読みました。ロバート・ボズナック著・岸本寛史訳『クリストファーの夢』です。ボズナックは、何度も来日されていて日本でもよく知られたユング派の分析家。僕はジェイムズ・ヒルマンを中心としたアメリカでの学会で一度お目にかかったことはあります。食事の席がたまたま同じになっただけで向こうが覚えていらっしゃるかどうかはわかりませんが、しかし、話をしているだけで、その優しい人柄が伝わってきたのが印象的でした。この本の副題は「生と死を見つめたHIV者の夢分析」とあります。内容は、一言でいえば、この副題どおりのもの。

 ボズナックのもとに、分析を受けたいというクライアントが現れます。彼はファッション業界で成功した人物でした。しかし、自分のなかの何かを恐れていて、それを取り除きたいと願っています。ボズナックは、実際に多忙であったこともあり、また何かが無意識的に危険信号を出したこともあって、その分析をいったんは断ります。予約は1年先まで一杯だ、というのです。しかし、彼は待つといいました。そして分析が始まり、しばらくして、彼はHIVすなわちエイズに感染しており、かつそれが発病していることが明らかになるのです。このクライアント、すなわちクリストファーは自分のセクシュアリテイが、一般的な教会では受け入れられないということにも苦悩します。そんななかで、彼は、黒人であり、ゲイとキリスト教の関係を真剣に考えている聖職者を紹介され、余命いくばくもないなかでその援助を受けながら宗教学を学ぶようにもなるのです。

 ボズナックは、大きな抵抗を感じながら、彼に共感し、彼のことを好きになってゆきます。このプロセスは分析の場でおこる「融合」というものなのだそうです。しかし、そのなかでべったりと相手にくっつくのではなく、強靭な力でもって客観性を持ちながら相手とかかわり、そして相手を受け止めてゆく、という分析のプロセスが赤裸々に描かれていて、下手な小説などよりもずっとずっと興味深く、胸に迫るものでした。最終的にクリストファーは亡くなるのですが、その直前に、ボズナックは、病院で死の床にあるクリストファーに、ありったけの気持ちをこめて、一人一人の彼の友人、元恋人、彼を援助した女友達の名前を挙げながら、こんなふうに伝えるのです。

「エテルは、あなたを愛しています」
「ハンクはあなたを愛しています」
「マギーはあなたを愛しています」
「ローレンスはあなたを愛しています」
「ジョンはあなたを愛しています」
「マークはあなたを愛しています」
「ビリーはあなたを愛しています」
私(ボズナック)はしばらく息を止め、彼に対するすべての感情を声に込めて言う、「そして私もあなたを愛しています」

 この夜に、クリストファーは逝ったそうです。このようなセラピストの姿勢に、ぼくは深く感動しました。分析の場だとはいえ、いえ、分析の場ですらこのような愛に満ちた人間関係を作ってゆくことは可能なのです。このような深い人間関係を少しづつでも広げてゆくことができたら、そして死や偏見にたいして立ち向かう勇気をもつというかたちで火星の力をもつことができたら、きっと世界はこんなにひどいことにはならないのではないかと思います。

 これから、「文明の衝突」という言葉の影に隠れたさまざまな人種間や民族間の偏見が表立ってくることになるでしょう。身を守ることは大事ですが、それと同時に、そのくらい相手をどんなふうに見つめることができるかも問われてくると思います。ぼくも偏見に蝕まれないかどうか、自信はありません。しかし、そのなかで少しでも心をオープンにしてゆきたい、そんなふうに考えています。

2003年4月15日 鏡リュウジ拝


拝復 鏡リュウジさま


 たいへん興味深い、心に響くレターをありがとうございます。深く共感するものがありました。暴力性をどれほど自己認識できるかが暴力性を超えてゆくきっかけだとわたしも思います。そのためにも、欲望とか暴力性とか夢とかをよくよく自己認識することが必要だと思います。その意味では、ブッシュ大統領は暴力性の自己認識という点からもっとも遠ざかった大統領といえるのではないでしょうか。まことに残念なことに、アメリカという巨大帝国の欲望の無意識をブッシュ大統領は体現しているのではないかと思えます。暴力性の自己認識どころか、それに取り込まれ、飲み込まれたヒト。今の彼が「深い人間関係」を築ける人だとはとても思えません。ブッシュ大統領やチェイニー副大統領を暴力性の自己認識に誘うことはどのようにして可能なのでしょうか。大変困難な迂遠な道ですね。

 一つはやはり地道に国際世論を高めていく努力をすることでしょうね。そして公正な認識の努力を続けていくこと。「罪を憎んで人を憎まず」の態度で。どのような人とも「深い人間関係」を築く可能性があると信じて待つこと。努力を怠らないこと、絶望しないこと。愛を深めること、待つこと。最近、「待つ」ということの深さをよく考えます。すべてのことにはそれが起こってくる条件や縁があります。ですから、あらゆる出来事が起こるべくして起こっているといえます。在るべくしてそこに在る、すべてが。成るべくしてそこに成っている、あらゆることが。すべては「自業自得」の連鎖でしょうか。その中で、たゆまず努力すること、精進すること、そして待つこと。淡々と待つこと。待って待って待って、待つこと。「ゴドーを待ちながら」というベケットの劇がありましたが、仮に「待ち人来たらず」であったとしても待つこと、それがとても大切だと思うのです。

 ところで、鏡さんが紹介してくれた『クリストファーの夢』、とても心に残る内容のようですね。「死や偏見にたいして立ち向かう勇気をもつ」ことは21世紀のわたしたちの重要な課題です。それは死生観の根幹を問うことだからです。「死を見つめる心」から生への感謝や他者への寛容や優しさが生れてくると思います。死は人生の教師です。それは生きている間には経験できないものであるがゆえに、未知そのものであるがゆえに、いのちあるものにとって永遠の教師の磁場となります。死を光源としてわたしたちは生のリアルを見てとっていくのです。死は闇の中にあって闇を光に転じていく回路です。偏見は公正な認識によってしか取り除けませんが、その公正な認識には宇宙からの視座が必要です。わたしたちの生の現場を宇宙の彼方から見るようなまなざしが必要になります。地球を、そして地球の中で、上で、生息するいのちを全体として、裏も表も見てとるには宇宙からの視線がなくてはならないのです。

 この3月にわたしは、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、イギリスの欧米5カ国を回りました。ちょうどイラク戦に突入する前だったので、アメリカ・カナダでは大変警戒が厳しかった時です。わたしの持ち歩く石笛は大体いつも機内持ち込みの荷物検査に引っかかりますが、それを吹いてみせると楽器だと理解してくれます。しかし今回ばかりは、かなりしつこく「これは何だ。これは武器になる!」と言われて追求されました。確かに、言われてみると石笛は天然の石に穴の開いたものを石笛として使っているので、石を石器時代の武器のように用いることも不可能ではないかもしれません。今まで石笛を武器だと疑われたことはありませんでしたが、こんなことは初めてです。アメリカの防衛線が強固というよりもむしろ病的であると感じた次第です。

 カナダではバンクーバーとブリティッシュ・コロンビア州の北部の町プリンス・ジョージに行きました。ネイティブ・カナディアンの生活や信仰に接したかったのです。バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学の考古学博物館にあるインディアン・アートは圧巻でした。トーテム・ポールの林立する展示室を駆け抜けるようにしてみて回りましたが、そのヴァイブレーションは強烈でした。動物、いのち、エネルギー。パワー・アニマルの信仰がダイナミックに伝わってくるようでした。トーテミズムの世界はわたしにはよくわかります。トーテム動物が自分たちの先祖であり、特別の神秘的な絆を持つという感覚は、わたしの中にも深く潜んでいるものです。わたしはよく草加せんべいを食べる時に、「俺は恐竜だった!」と思い出すのですが、本当に恐竜は自分たちの祖先だと思いますし、始祖鳥も先祖だと確信しています。

 作家の宮内勝典さんの『ぼくは始祖鳥になりたい』という小説が出された時、そのタイトルに深く、深く動かされました。それがわたしの心を代弁してくれているタイトルだったからです。正確に言えば、『ぼくは昔、始祖鳥だった!』のですが、それを思い出して、もう一度始祖鳥の時代から進化のプロセスを練り直し、世直しをしたいと切に思います。わたしたちはもっともっと動物からいのちの志向性や夢を学び直す必要があると痛感します。傲慢になりすぎた人類種は動物からもう一度いのちの尊さと謙虚さと無垢さを学ぶべきではないでしょうか。一からやり直さなければ、あきまへん、人類は。そう思う今日この頃です。

 さて、フランス、ドイツ、イギリスの旅のことを書きたいと思います。今回のヨーロッパ行きに主目的は、ドイツのミュンヘン郊外の風光明媚な湖キムジーの中の小さな島フラウエン・インゼルにある聖ベネディクト会の修道尼院で行なわれる第3回インターナショナル・ウインタースクールに講師として参加することでした。毎年、この時期には同じ所でこのスクールが開かれるのです。3回とも出席した講師は、主催者のインゴ・タレブ・ラシッドさんとわたしだけです。今年のテーマは、”The Communion of Body, Spirit & Soul” でした。わたしに与えられた課題は二つ。”The Purity of Body and Mind” と “The Unity of Nature and Humanity” のテーマで、レクチャーとワークショップを行なうことです。ワークショップは、言霊ワーク、フリーチャンティング、禊ワーク、神道リチュアルを行ないました。レクチャーの方は、神道ソングおよびヴィデオ「縄文革命」付きの視聴覚に訴える講義で、「弁才天讃歌」などは全員の合唱になり、アンコールが出たほどです。わたしの神道ソングはもしかすると日本よりドイツの方がよく知られているのではないか知らん? レクチャーとワークショップの後、「CDを売ってくれ」という女性が4人もわたしを訪ねてきたし。神道ソングには世界性あり、とわたしは見ていますが、如何でしょうか?

 7日間をこの修道尼院で過ごしたのですが、毎日とても天気がよく、アルプスが望め、また満月の後の月の変化も美しく、湖に月光が移るさまを窓越しに見やりながら、毎晩ギターを抱いて眠るという幸せなひと時でした。しかし、その間の3月19日の深夜、アメリカがイラクを攻撃し始めたのです。その時、わたしは湖に移る月光を眺めながら静かに歌を歌っていました。3月20日はわたしの52歳の誕生日でしたので、よく覚えていますが、これからどんなことが起こってもめげないでしっかりとやるべきことをたんたんとやっていこうとこの時、改めて覚悟したのでした。ちょうどその頃に、アメリカがイラク攻撃を始めたことになります。日本時間では3月20日の朝8時前頃だったでしょうか。

 実は、わたしはこのように戦争状態になることを平成元年に予感し、覚悟していたのです。元号が昭和から「平成」に変わった時、わたしは暗澹たる気分に襲われました。後に総理大臣になった小渕官房長官が元号の転換を告げた時には驚きよりも怒りがわいて来たほどです。それは、日本の為政者も有識者も歴史から何も学んでいないのではないかという憤りでした。「平成」という元号は、確かに「平らかに成る」ことを願って付けられたものでしょう。出典は中国の古典の『春秋』だったか、何だったか。

 しかし、日本で「平」の字から始まった元号は「平治」だけで、それは、保元の乱(1956年)・平治の乱(1959年)と続く「武者の世」(慈円『愚管抄』)の始まる年だったのです。「平治」とは反対の「戦争」になってしまった歴史を為政者はもう一度辿ろうとしているのか、選ぼうとしているのか、とわたしは暗鬱な気分に陥ってしまったのです。これは多くの方にはこじつけか、呪術的な思考に思えるかわかりませんが、わたしはなぜかそう直感してしまったのです。「これから大中世(大乱世)が始まる!」と。

 ですから、それ以降、「平成」年間はわたしにとって、ずーっと乱世と戦国時代でした。事実、ベルリンの壁は崩壊、ソ連も崩壊、米ソ冷戦時代は終わりを告げたかに見えますが、さらに根深い文明間の対立や南北問題が深刻になり、湾岸戦争、コソボなど地域紛争は絶えることなく、「文明の衝突」は現実のものとなっています。そして、21世紀になって、9・11の自爆テロ。一挙に世界は「大乱世」に突入しました。もはや確固たる世界秩序はどこにもありません。「仁義なき戦い」が始まったのです。アフガニスタン戦争とイラク戦争はまさしくその「仁義なき戦い」の見本です。

 私事を申せば、鎌田家の先祖・鎌田正清は源氏の棟梁源義朝(源頼朝・義経の父)の乳兄弟でした。つまり、鎌田正清の母が源義朝の乳母だったのです。長じて、正清は義朝の一の家来となり、保元の乱で後白河天皇側についたものの、父源為義を斬首しなければならなくなり、煮え湯を飲まされます。一方、同じく天皇側についた平清盛はみるみるうちに出世し、義朝は深く恨みを抱くようになります。「平治」に元号が改まった年の12月、源義朝は熊野詣でに出かけた清盛の留守を狙って後白河上皇の住む三条院を襲い、上皇を幽閉し、天下平定を画策します。

 しかし、慌てて駆け戻った清盛軍に逆襲され、敗れて、愛知県知多半島に逃げのびます。そこには、正清の妻の実家があったのです。けれども、妻の実家で旅装を解いて風呂に入って丸腰の状態を襲われて義朝は切り殺され、正清は酒を飲まされて騙し討ちに遭い、源氏は完全に敗退します。正清の妻の父や兄弟が平清盛と密通し、寝返り、裏切ったのです。それが「平治」2年正月のことでした。このことがあって、わたしの家では今でも正月には、酒を家の外に出し、屋敷内に酒類を一切置かず、正月にお屠蘇も酒も飲むことはありません。そのため、生れてこの方、52年間、わたしは正月に一度も酒を飲んだことはありません。その禁を犯すと「祟りがある!」と言い伝えられてきて、その通りのことが起こったようなのです。それゆえ、我が家では今でも、正月に家の内に酒を置かない、飲まないという平安時代末期からの風習が守られているのです。これでは、まるで「八つ墓村」ではありませんか。ほんとに、そうなのです。「八つ墓村」もどきなのです。

 実はこのことがあって、わたしは「平治」と「中世」(乱世・武者の世)にはこだわりにこだわってきたのです。絶対に「平」の字をつけたら「平和」な世の中にはならないと確信してきたのです。「平和に治まる」どころか「戦につぐ戦になる」と思い込んできたのです。「平成」の世とは、したがって、わたしにとっては、「大乱世」の始まりに他ならなかったのです。そしてこのわたしの独断と偏見じみた直感は、不幸なことに、的中してしまったと思います。わたしは、だからこそ、平和への模索に努力を重ねたいのです。わたしの平和への志向は、こうした先祖たちの戦乱の因縁と怨念を鎮魂慰撫することを伴って出てきたものです。能天気な平和主義ではありません。絶望の中にあっても平和と希望を求め続けて止まない究極平和主義です。

 話がシリアスになってしまいました。3月の満月の夜、セーヌ河のほとりを独り散策し、ノートルダム寺院の上に架かる満月に向かって法螺貝を吹き鳴らしたことが思い出されます。セーヌはわたしの魂の故郷です。どうしてもそう思えてしかたがないのです。カルチェ・ラタンやサンミッシェルに行くと、自分の古巣に帰ってきたような安心感を覚えます。今回の旅の最後にロンドンのテームズ河の河岸で石笛になる石を拾いました。テームズの響きを今度お会いした時にお聞かせしたいと思います。それまで、どうか、お元気で。ごきげんよう。

2003年4月16日 鎌田東二拝

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