2003/9 満月 - Moonsault Space

拝啓 鎌田東二先生

 大変、大変ご無沙汰しておりました。毎月、満月のときにお手紙を差し上げるお約束でしたのに、ついつい日常の雑事に追われてそのお約束を果たすことができず、一度「穴」を開けてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。
 しかも、今日はまた満月ですね。今日は大接近している火星が月ときわめて接近しておりました。僕も夜に見上げましたが、月のそばに赤くぼんやりした火星が寄り添っていて美しい天体ショーでありました。 もっとも占星術的にいえば、人のエモーション(月)を熱くさせる火星はけして縁起のいいものではありませんけれども。もしかして、今宵あたりはあちこちでエキサイトしている人が増えているんじゃないかなあなどと心配しています。

 さて、今日ぜひお話したいのは、エジプト旅行のことです。8月の2日から一週間ほどエジプトを旅してきました。雑誌「フラウ」の旅特集の企画で、僕のたっての希望で古代の占星術やグノーシス主義の中心であったアレクサンドリアを訪れることができたのです。同行したライターのUさんやカメラマンのKさんは、親しい先輩、友人でもあり、旅はとても楽しいものになりました。 アレクサンドリアは今ではすっかりリゾート地になっていて、紀元前4世紀にかの若き征服者の名前をつけられたときの面影はありません。度重なる地震によって、かの大灯台は海の中に沈んでいます。プトレマイオスが書に親しみ、占星術の教科書を書いたであろう大図書館にいたっては、その場所ですらもはや伝説のなかなのです。もちろん、生粋のエジプトの人々も、そこに入植したはずのギリシャの人々も、ペルシアの人々もいないわけです。今そこにあるのはイスラームの人々です。 それでも、僕はそこにイマジネーションを羽ばたかせて、現実の風景と古代の風景を幻視してオーバーラップさせながら、旅を続けたのでした。

 一番強く僕が感じたことは、今の「文明の衝突」ばかりではなくて、「文明の交流」がかつては起こっていたのではないかということです。もちろん、アレクサンダーがなした偉業の背景には戦争があり、多くの犠牲者が出たことを忘れるつもりはありません。 『帝国』の背後には必ず悲惨があるものです。しかし、同時に、たくさんの文化が交じり合い、何か大きなものを生み出す創造性につながっていたことが確かにあることを僕は感じたのです。 たとえば、プトレマイオス王朝に生まれたセラピス神。これは、古代エジプトの聖牛アピスと冥府の神であるオシリスと、ギリシャのハデスやゼウスが混交して作られた神です。多くの書物によると、これはプトレマイオス王朝の支配者たちが土着のエジプト人とギリシャ人を融和させるために作り上げたといいます。しかし、僕はそれだけだとは思えない。人々が信仰したからには、何か熱いボトムアップ式のエネルギーが渦巻いていたのではないかと思うのです。 また、グノーシス主義に代表されるような奇怪な宗教も数多く花開いたのは、このような文明の坩堝のなかにおいてでした。

 旅の詳しいことはもうすぐ発売される「フラウ」本誌をぜひごらんいただきたいのですが、僕にとってはもうひとつ、アレクサンドリアといって忘れられないのは、ユングの一種のお筆先文書「死者への7つの語らい」です。 霊的な体質であったユングは何度も奇怪な霊的現象に見舞われているようですが(それが錯覚であるかどうかは別にして)、あるとき、ユングのもとにアレクサンドリアのバシリデスを名乗る霊が訪れて、グノーシス的な文書をしたためさせるのです。この文書はこっそりとユングと親しかった文学者たちに回覧されます。ヘルマン・ヘッセもその一人であり、ヘッセの『デミアン』には、このユングの文書の影響が色濃く見て取れるのです。 『死者への7つの語らい』には、光と闇を統一、ないし超越するような「対立物の一致」の神が語られています。対立物をまず想定し、それを超えてゆく道を「個性化」とみなすというユング心理学の発想がここに明確にみられるのです。 そして、そこにはユングがかかえていたキリスト教の問題が明瞭に現れています。

 僕がアレクサンドリアを旅しながら感じたのはこのようなことでした。ユングのなかにはイスラムへの問題意識は希薄だったはずですが、しかし、ユングが無意識のうちにこのテクストを書いたときにはアレクサンドリアという文明の交流と衝突の舞台のさまざまなイメージがあったはずです。そして、今イスラムとイスラム原理主義のことを考えなければならない今、アレクサンドリアという街に導かれたということに、僕はなんとなく運命のようなものを感じているのです。

 このことは僕の少ない知識ではとても考えをまとめることはできないので、また改めて何かおもいついたら書きたいと思います。しかし、今度の旅は、確かに僕にもうひとつのテーマを与えてくれたと思います。

 それでは。 妙な気候が続いていますがお体には気をつけて。

2003年9月10日 鏡リュウジ拝


拝復 鏡リュウジさま

 8月の満月はレターの交換を休んでしまいましたね。この2年間で初めての「夏休み」でした。もしこのレターを愛読してくれている方がいたら、突然の「夏休み」でごめんなさい。

 わたしはこの「夏休み」の8月に、沖縄と月山に行きました。そのことから話をしたいと思います。仲間とともに活動している東京自由大学では毎年8月初旬に夏合宿を行なっています。これまで、早池峰山、隠岐の島、出羽三山と岩木山と三内丸山遺跡、吉野・熊野・天川と過去4回の夏合宿をしてきて、今回が5回目になります。今年は、東京自由大学にとって創立5周年ですが、そんな記念の年の9月26日(金)に、鏡さんにもゲスト講師として東京自由大学に来ていただくことになり、心より感謝しています。関心を持たれた方は、詳しくはリンク集の中にある東京自由大学のホームページをご覧ください。

 さて、沖縄ではまず何はさておき、沖縄本島最高の聖地とされる斎場御嶽を詣で、久高島を遥拝し、その日の内に、東海沖に浮かぶ「神の島」久高島に渡りました。 実は、東京自由大学副理事長で、かつNPO法人・沖縄映像文化研究所理事長の映画監督・大重潤一郎さんが、久高島を拠点に12年間カメラを回し続けてドキュメンタリー作品『久高オデッセイ』シリーズを4本作ると意気込んでいるのです。島の方々と交流するとともに、その大重さんを励ましたいというのも今回の合宿の目的の一つでした。 というのも、島の生活や祭祀を撮るということは本当にお金と労力が要った上に、まったく儲からないような、ある意味では奉仕的な仕事といえるからです。これは、誰にでもできる仕事ではありません。したくてもできるというものでもありません。何というか、そういう運命というか、カルマというか、役割というか、何かが大重さんに降りていないとできない仕事だと思うのです。

 彼は、今年の2月に、国際ベルリン映画祭に正式招待され、ドキュメンタリー『小川プロ訪問記』を2回上映しました。その作品は、映画人として戦後日本の映画界を牽引した大島渚監督が、ドキュメンタリーの「鬼」の一人である小川伸介監督を訪ねて行って対論するという映画です。今となっては大変貴重な記録映画となりました。 しかし、そのような地味な作品は本当に上映する機会もなく、ほとんどお蔵入り状態であったものを、国際ベルリン映画祭の事務局が見出して、日の目を当ててくれたのです。これは大重さんにとっても、友人であるわたしにとっても、大変嬉しく、ありがたいことでありました。そこで、大重さんとわたしは協力して、大重さんの「古層三部作」、すなわち『縄文』『ビック・マウンテンへの道』『魂の原郷ニライカナイへ』の三部作を一本のヴィデオにまとめる作業をして、オムニバスフィルム『縄文革命』を作りました。そのシナリオは本ホームページの創作欄に掲載してありますので、興味があればご覧ください。

 そのようなわけで、大重さんの仕事の大切さと大変さを訴え、多くの方々にその意味と意義を知ってもらった上で支援なり協力なりをしてもらいたいと切に思っているのです。今後、大重さんの仕事は評価されてくると確信しています(大重さんのホームページには上記東京自由大学の中から飛べます。ぜひ一度覗いて見てください)。 大重さんは本当に純粋な野生児で、二人で話をする時、わたしはいつも彼に言います。「大重さんは今まであまり人間をやってこなかったね」と。彼の自然描写は美しいというか崇高というか、素晴らしい密度があります。それに対して、人間に対する描写は弱いのですね、幸か不幸か。しかしこれは、彼の弱点でもあり、長所でもあると思っています。人間を描くということにはいろいろと余分なものが入るのです。その余分なというか、人間的なものを抜いて抜いて、省いて省いて、削って削っていった時に、そこに何が残るのか。そこに何が立ち現われるのか。そこでどんな言葉が発信されるのか。大重さんの作品にはそうした「元始」というのか、「原始」というか、始まりの風景があるのです。それはまた、終わりの風景かもしれません。 月山には、8月13日に登りました。その日はちょうど満月の夜で、月山山頂で満月を拝することができました。山形県にある月山は1984メートルの高山で、月の神様、月読尊をお祀りする月山神社が山頂に鎮座しています。ツキヨミノミコトをお祀りしている神社は日本列島にもそう多くないんですよ。対馬とか京都とか、わずかなところでしか、お祀りされていません。なぜでしょう。

 ユング派の心理学者の河合隼雄さんは、持論である「中空構造論」の中で、「天御中主神」とか「月読尊」などは、まったく名前だけが登場してくる神で、ほとんど活躍しない、活動しない、まさに「中空」的存在だと位置づけています。例えば、『中空構造日本の深層』の中で、河合さんは、「神話体系のなかで、ツクヨミはほとんど無為に等しい役割をもたされている」と指摘し、さらに、「『古事記』神話において中心を占めるものは、アメノミナカヌシ-ツクヨミ-ホスセリ、で示されるように、地位あるいは場所はあるが実態もはたらきもないものである。それは、権威あるもの、権力をもつものによる統合のモデルではなく、力もはたらきももたない中心が相対立する力を均衡せしめているモデルを提供するものである。/中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうものである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである」と述べています。

 日本的な相対性の極致を示す神々の一神が月読尊だというわけです。統合モデルではなく、いわば、非中心モデル、非統合モデルの権化としてのツキヨミ。月は日々形を変え、満月から新月まで、まさに死と再生、存在と無とを繰り返します。ツキヨミはまさにそうした変幻自在の非中心の神様なのです。おもしろい、ふしぎな神様ですね、ツキヨミとは。その月の神様のことはわたしもずっと関心を持ちつづけてきました。何れ、『月神の変容』というようなテーマで、一冊の本を書いてみたいですね。 とまれ、「月山」。その名も、「ガッサン」。美しい名前です。

 5年前、月山高原牧場で第1回「月山炎の祭り」が行なわれた時、「月山讃歌」という神道ソングを作りました。神道ソングには祈り、叫び、笑いがありますが、この「月山讃歌」は「弁才天讃歌」や「神」や「ぼくの観世音菩薩」などの神道ソングと同様、祈りの歌です。魂の山としての月山への信仰と讃歌を歌ったものです。 今年の8月13日の月山は、今まで見た月山の中で最も美しい穏やかな月山でした。この世の浄土とはかくなるものかと思ったほど。そして、なんと、満月。 ちょうど、その一月後の満月が明日、9月11日になります。因縁の日ですね。米同時多発テロの起こった日で、間違いなく、後世に、世界が大きくシフトした日と位置づけられるでしょう。 その9月11日に、千駄ヶ谷の明治公園で去年と同様、「Be-in」が開かれます。わたしは縄文サンバのグループと一緒に「なんまいだー節」と「フンドシ族ロック」を歌う予定です。「フンドシ族ロック」はみんなでフンドシになって歌おうと決議しました。すなわち、赤フン、青フン、黄フン、緑フン、白フン……、あーあ、どうなることやら。たいへんおもろいことになりますよ、明日の満月の日は。 実は、去年もこのBe-inに参加して、一人でフンドシ一丁になって、「戦いを超えて」と「フンドシ族ロック」を歌いました。去年はそれを見、聴いていた人は呆れて、引いていましたね。「やばいものを見てしもた」と思ったのかも。実際には、パンツ・グローバリゼーションに反対して「世界に多様性が必要よ」と訴えるプロテストソング「フンドシ族ロック」はお笑い反戦歌なのですが、誰も笑ってくれへんかった。ほんま、残念やった、去年は。今年はどうやろ。 今年は、早稲田大学の面白音楽グループ・縄文サンバと一緒なので、どういう展開になるか楽しみです。

 ところで、今日、中沢新一さんたちと、猿田彦大神フォ-ラムでやっている研究助成の選考委員会の会議があったのですが、休憩時間に中沢さんや島薗進さんに「フンドシ族ロック」を聴いてもらいました。なぜか、中沢君には受けてたみたいだったけどね。彼は反骨ものが好きなのかな。後の方々は呆れてたみたい。「鎌田がまた阿呆なことやってる」と。しかし、一日一馬鹿運動の提唱者としては、「人に笑われる立派な仕事をしたい」と日々精進に余念がないのであります。 ちなみに、セカンド・アルバム『なんまいだー節』は明日、9月11日にリリースします。ゴスペル・ポップな鎮魂歌を世界に向かって発信します。満月の夜に。

 ツキヨミノミコトは、出羽三山信仰の本地垂迹説では、阿弥陀如来に当ります。ですから、「なんまいだー節」はツキヨミ=アミダ仏に捧げる歌でもあるのです。そしてそれは、2年前の11月の満月の夜、我が家の17歳の猫・チビが大往生を遂げた時に、満月を見上げながら歌っているうちに出来てきたまことの鎮魂歌なのです。それを世界に向かって発信したいと思います。「なむなむなむなむなんまいだー」と。南無阿弥陀仏の死者を弔い、再生を願う歌を。

 今日は何かお月様に引っ張られて、話が月のことと「なんまいだー節」のことに尽きてしまいました。月と死と鎮魂、今月の満月は2年前を思い出します。本当に世の平安を祈らずにはいられません。鎮魂と浄化の力を生み出したいと発心します。

2003年9月10日 鎌田東二拝

この記事を書いた人 Wrote this article

pageadmin21_tm