2003/5 満月 - Moonsault Space

拝啓 鎌田東二先生

 レターを出すお約束の期日がまたすぎてしまい申し訳ありません。どうも僕は、ずるずると目先のことに追われて無為にすごしてしまう癖があるようです。さて、前回の先生のお手紙、とても興味深く読ませていただきました。先生のご先祖さまの因縁話、それが事実かどうかはともかくとして、人の一生を、あるいは家系を支えるひとつの神話が迫力をもって伝わってきました。こういうクランの神話のようなものから近代人は自らを解放しようとしたわけで、それにある程度成功したはずなのですが、それがかえって人を根無し草のようにしてしまった。都会のなかに生きる人々を蝕んでいるえもいわれぬ空疎感は、このような神話を喪失した結果なのは、いうまでもないと思います。こうした神話をどのようにして復興させるのか、あるいは、それを単純で危険な民族至上主義や右傾化につなげることなく行ってゆくことが大事だと思うのです。このようなことを考えていると、来月にも土星が蟹座に移動することに思い至りました。先生の「妄想」に勇気付けられて僕も占星術家の妄想を再び述べさせてください。

 蟹座は、以前にもお話したように、自分のホームグラウンドなどを表す星座です。ここに土星が入る。土星は、ものごとの縮小や制限、現実を意味する星であり、蟹座に土星が入ると、自分の基盤やルーツ、家族といったものに抑圧が加えられると感じられるようになることを表すというわけです。そこで、自分のアイデンテイテイの基盤を脅かされているのではという意識に陥りやすくないというわけなのです。手もとに、今訳している心理占星術の権威、リズ・グリーン著『サターン』(土星)があります。リズ・グリーン博士はユング派の分析家であり、占星術と心理学を融合させたパイオニアであり、現時点で欧米の占星術世界で最も尊敬されている人物の一人です。すでに邦訳紹介している『占星学』(現代:Relating,青土社)でご存知の方も多いでしょう。これまで宿命論的であった占星術を心理学の視点を援用して、自己を発見するためのツールとして読み替えたのです。

 『サターン』は、リズ・グリーンの処女作ですが、土星のシンボリズムを心理学や神話を使いながら非常に丁寧に深く掘り下げています。欧米ではベストセラーであり、占星術家や心理臨床家にとってはひとつのマストアイテムになっているものです。この本のなかの、土星が蟹座、あるいは第四ハウス(第四ハウスは蟹座の定位置です)の項目を読むと、70年代に書かれた本であるにもかかわらず、そして基本的には個人心理の本であるにもかかわらず、今起こりつつある集合的な心理の変化を鋭く描写しているように思われて仕方がないのです。

 リズは、こんなふうに土星が蟹座、あるいは第四ハウスにある人の心理構造を分析しています。少し長くなりますが、引用してみましょう。「第四ハウスにある土星の影響はさまざまな経路をたどって現れてくる。現れるかたちは人によってさまざまだ。だが、どのようなかたちで外部に現れるとしても、内部における反応は同じである。…第四ハウスに土星があると、『守られている』という意識が否定されたり、その意志に対するフラストレーションが発生する。そして、家族の一体感や親子の絆を求める自然な感情表現が妨げられてしまうのだ。無意識のレベルで起こるこの種の状況は、本人が意識しなければ、本人の情動生活を大きく揺さぶってしまうことは当然だろう。家庭環境に関する、親密感への不信が普通浮上してくる。その一方では安心感を与えてくれるなにかを渇望するようになる。自分のなかにこうした二つの両極端な情動が存在することに気づく人はめったにいない。たいていはどちらか一方しかみようとしないだろう。その結果、家族や故郷に異常に固執するか、あるいは極端に嫌悪したり、無関心を装ったりすることになるのである。しかし、本当にこうしたものに無関心でいられることはない。情動の発達に何かが欠けているためだ。そしてたましいの構造全体が、この欠落を補償するためにゆがんだかたちで成長してしまうのだ。」

 この家庭というものを国家だとか国家の土地だと考えると、今の状況と不気味なほどに符合しているような気がします。有事法制が整ってしまいますが、こういう状態がここへきて一気に進んでいるのは、土星―蟹座に象徴される心理が集合的に表れているのではないかと思います。リズは、しかし、これが土星が与える重要なレッスンだとも教えているようです。「土星が第四ハウスにある人は、感情の本質の脆さを知らねばならない。家族の問題に無関心を装いつつも、自分が何を求めているかを理解しなければならない。…必要なのは自分の感情の世界を知り、それを発達させることだ。」

 帰属意識やそれが与える安心感、またそれが得られないがゆえに生まれてくる依存や渇望感。これが第四ハウスの土星のキーです。これからおよそ2年半ほど、土星は蟹座にとどまりますが、それぞれの人が、あるいは国が考えるべきテーマがここにあるように、僕には思えてならないのです。今回は、またしても星のシンボルを勝手に読むだけの手紙になってしまいました。この妄想のような考えが、先生のイマジネーションを少しでも刺激することになればと思います。それでは、また来月。平和を祈りながら、土星に思いをはせながら、今日はここで筆を起きたいと思います。

2003年5月15日 鏡リュウジ拝


拝復 鏡リュウジさま

 「土星=サターン」のシンボリズムのお話は意味深長ですね。帰属と離反というアンビヴァレントな感情に強く揺り動かされることが過剰なナショナリズムを生み出すのかもしれません。無意識が澱のように溜まっている淵、そのような淵で「悪魔と表象されたサターン」は囁くのかもしれません。「お前は何者なのか? どこから来たのか? お前の家はどこにあるのか? お前は憩うことの出来る場所がほしくはないか?」と。それは、「善悪を知る木の実」を採って食べると「神のように目が開けて知恵ある者になる」というサターン=蛇の誘惑とも重なってきます。それは安心できる真の居場所を獲得したいという欲望を明るみに出します。

 最近、わたしは動物の偉大さを本当に切実に感じます。空を飛ぶ鳥も、海や川や湖を泳ぐ魚も、森を駆け抜ける獣も、それぞれがそれぞれの生命の拠り所をしっかりと守り、自己の領分を生き切ろうとしているように思えます。残念ながらとも、興味深いことにとも言えますが、人間だけがこの領分から外れているのです。どうしようもなく、人間は生物界にあるダメージを与える「フリーラジカル」なのですね。

 わたしはこの4月から、毎週月曜日には京都造形芸術大学に行って「宗教と社会」という授業をし、終わるとすぐに岡山大学の大学院医歯学総合研究科に通い、月・火と医学の授業を受け、岡山から寝台車に乗って東京に戻り、水曜日の朝9時には早稲田大学法学部の「宗教と社会」という授業を行なうという生活パターンを繰り返しています。大学教員と大学生のダブルを生きているのですが、この前、岡山大学で神経細胞学の授業を受け、「フリーラジカル」という原子や分子のあり方に痛く興味を覚えたのです。

 わたしは、その講義で、ミトコンドリアから発生する「フリーラジカル」のことを教わったのですが、これが生体に実にいわば「土星的」な影響力を発揮するのですよ。「フリーラジカル」と呼ばれる細胞分子がミトコンドリアから発生して、活性酸素種を生み出すと、生体はさまざまなダメージを受けます。一般に、安定した電子は対の電子を持っていますが、対ではなく、不対電子を持った分子を「フリーラジカル」と言います。そこで、「フリーラジカル」とは、「不対電子を持つ原子や分子の総称」と定義されるのです。いわば、安定や安心や家庭や故郷のない孤児のような分子が、「フリーラジカル」で、まあ平たく言えば「不良分子」ということですね。

 その代表格がスーパーオキサイドという活性酸素種で、その働きによって、酸化ストレスによる神経細胞障害が引き起こされてきます。例えば、OHラジカルによって引き起こされる脂質酸化反応で、酸化された脂質はズタズタなり、膜の透過性が高くなり、DNAに損傷を与えます。また、チャンネルやレセプターを機能劣化させ、アトポーシス促進タンパクを誘導し、「自爆テロ」のような「アポトーシス」を生み出します。こうして、OHラジカルは、急速な細胞障害を引き起こし、生体は細胞死を迎えます。フリーラジカルの発生ソースとそのメカニズムとそれによる細胞障害の事例に大変興味を持ちました。というのは、これは何も生体の内部での出来事だけでなく、社会の内部でも同様のことが起こっているように思えたからです。もちろんそれは、類推や隠喩による理解と拡大解釈ですが、わたしは自分自身がこの不対電子を持つ人間界の「フリーラジカル」なのではないかとふと思ったのです。生体内の「フリーラジカル」は組織にダメージを与え細胞死を引き起こしますが、社会内の「フリーラジカル」は社会組織にダメージを与えるだけでなく、「世の建て替え建て直し」をもたらし、組織の活性化と編成替えを引き起こす役割を果す可能性を持つ者ではないかと身勝手にも考えたのです。

 わたしにとって、日本社会の中ですぐさま思い浮かぶ「フリーラジカル」の典型は、弘法大師空海と坂本竜馬でした。空海は大学をドロップアウトして、24歳で『三教指帰』を書き上げ、儒教でも道教でも得られない真理と智慧の大海である仏道に向かって突き進んで生きます。その分子的姿は、組織にダメージを与える「フリーラジカル」ではなく、組織を活性化する「フリーラジカル」のようなものではないでしょうか。坂本竜馬もまた土佐藩を脱藩して新しい海と交易と文明交流の大海に参入していき、京都の寺田屋で新撰組の者に暗殺されてしまいますが、その分子的姿は「活性社会種」と言える貴重な存在で、明治維新の起爆剤になったと思います。

 空海も坂本竜馬も新しい「海」に航海していった「フリーラジカル」ではないでしょうか? このような言い方は、科学の用語を文学的なイメージとして用いる誤用だと批判されそうですが、そうだとしてもわたしはこのイメージにとらわれてしまったのです。生体内のネガティブ・フリーラジカルから社会内のポジティブ・フリーラジカルに転換する仕組みはないものか? 世直し「フリーラジカル」は生れないものか? とまあ、このような「妄想」にとりつかれてしまったのです。わたしの医学の勉強は「フリーラジカル」のように、とんでもないところに行き着くことになるかもしれませんが、これが新鮮で、また面白くてたまらないのですよ。「科学」がこれほど「野蛮な美しさ」を持っているとは? 「野蛮な」というのは、わたしの中では両義性を持ったほめ言葉の一つです。

 わたしは、自分なりに社会的な「フリーラジカル道」を究めてみたいと思わずにはいられませんでした。イエスや仏陀や空海や最澄や法然・親鸞・道元・日蓮・一遍、彼らはみなとてつもないアヴァンギャルドでした。思考と行為の革命家であり、社会活性フリーラジカル種でした。新しい海の発見者であり航海者でした。わたしはそのような、未踏の海を航海していきたいのです。補陀洛浄土であろうが、黄泉の国であろうが、何であろうが、生命としてのさらなる旅に投企していきたいのです。この世の果てまで。エッジまで。

 ところで、このホームページ Moonsault Project も、クルーの尚美さんの尽力によって、フリーラジカル的に模様替えをしました。そして、「楽しい世直し集団」有限会社ムーンサルト・プロジェクトがこの5月5日の子どもの日に誕生しました。音楽・映像・教育などを通じて、創造性と平和と世直し・心直しを実践・実現していきたいと切に願っています。わたしの音楽のパートナーの曽我部晃さんが代表取締役社長として采配を振るいます。今後とも、見守り、応援していただければ幸いです。ムーンサルト・プロジェクトから5月5日にリリースしたその曽我部晃さん(KOW)のセカンドアルバム「透明なドラゴン」の発売記念コンサートが、渋谷のエッジで明日、5月17日に開かれます。詳細は、「有限会社ムーンサルト・プロジェクト」の方のホームページを見てください。ご都合がつきましたら、ぜひ聴きに来てください。では、またお会いする時まで、ごきげんよう!

2003年5月16日 鎌田東二拝

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