2003/2 満月 - Moonsault Space

拝啓 鎌田東二先生

 お返事遅れてしまって申し訳ありません。明日が満月なので、ちょっとスケジュール狂ってしまいましたね。ときどき、僕の怠慢病が出てしまいます。さて、フィリピンのお話、とても興味深く読ませていただきました。野生の聖性を持つ人々と出会うのは、こちらのほうもよほどしっかりとしていないとだめでしょうね。そういう人たちは見抜いてしまいますから。人間の本質というか生命の力のようなものを。本など読んだり書いたりしてしまうような「ビョーキ」の僕などは、意識してそういう生命の現場に触れる勇気を出さないとだめなんだと感じます。僕はそういう「野生」をとっくにどこかに置き忘れてしまっているようでコンプレックスを感じてしまうわけですが、しかし、たとえば僕の周囲の若者たちをみても、都市のジャングルのなかでなんとか生きていこうとしていて、そして、家族や近隣の人々への暖かな思いをちゃんと胸に秘めている連中がいます。こういう人をみると、本当に心が温かくなるのを感じるわけですよ。僕は思います。まだまだ大丈夫、まだまだ人は魂を失ってはいないのだ、と。

 今日の新聞には心を強くさせられるようなニュースがのっていました。世界中でイラク攻撃に反対するデモが起こっているんですって? アメリカ、イギリスといった戦争主導派の国ほどその規模が大きいという事実。これはひとつの希望ですね。また、「古臭い国」呼ばわりされたフランスの一矢報い方もなんとなく痛快でした。ひそかに、僕も本当は日本がこういう言い方をアメリカにたいしてできないものかと考えていたのですよ。西部劇の保安官の役割を果たそうとする人にたいして、たとえば関西弁で「そらあ、かっこええことですなあ、たいへんですな」とかなんとか。歴史の長さばかりを強調するのもこっけいだと思いますが、しかし、別な論理をもってなんというか余裕と美意識を議論のなかに持ち込むことができないかということなのです。それ自体は力にならずとも、別なパースペクテイブをもたらすきっかけにはなるのではないでしょうか。

 今の仕事とつながるのですが、大正大学の青木聡さんがトマス・ムーア(ヒルマンと同じ学派に属する心理療法家です)の『ヨブ記』を訳していらっしゃいます。僕もその企画で多少お手伝いしております。これは聖書のヨブ記と、それにたいしてのムーアの注釈がセットになっている本なのです。ご存知のようにヨブ記は、本来落ち度のないはずのヨブが、サタンの誘惑にまんまとのった神によって徹底的にいじめられるという実に理不尽な物語。僕のような素人にはなぜこんなものが聖書にはいっているのかわからない代物です。

 ユングの物議をかもした本『ヨブへの答え』は、大胆にも、神を精神分析の椅子に座らせます。そしてユングの診断では、神はあまりにも無自覚で無意識的な、どうしようもない子供っぽい巨人なのです。しかし、ヨブという人間を通して初めて反省する意識が生まれ始め、やがては意識に目覚めてゆく。神が人であるイエスとして受肉し、犠牲になるのは、ヨブを通してなのだ、という解釈をします。

 この解釈が神学的に圧倒的な批判にさらされていることは、僕も知っています。しかし、ユングのこの解釈は、まさに今のアメリカにも適用できるのではないでしょうか。国連の意向すら無視しようとするアメリカ。それは、ヨブのような人間を相手に「私は海の化け物もつりあげることができる、その私に逆らうつもりなのか」と吠え立てる神の姿と僕にはだぶってみえてしまうわけです。ヨブの役割をするのは誰でしょうか。それは、今犠牲になろうとしている人たちであり、ヨブにかわって声をあげる人たちなのではないでしょうか。

 ムーアのヨブ記解釈は、それとはまた少し違った方向で書かれています。それは個々人のレベルでの物語として、ヨブ記を読むものです。ムーアはいいます。彼のもとに心理療法をもとめてやってくる人はみなヨブのようなものなのだ、と。そう、がんにかかってしまった。タバコをやめたい。セックスでもっと満足したい。摂食障害になってしまった。生きる意味が見つからない。自殺願望にとりつかれてしまった。そのような人々は、みな「なぜ私にそれが起こったのか」と理由を探している、と。

 しかし、一見合理的な理由がみつかったとしても、それだけでは問題は解決しないのだ、と。人生は合理的に解釈しつくせるパズルではなく、もっと神秘的なミステリーである。そのことに深く気付くときにこそ、なんとなくその人はまた人生に向き合って行くことができるのだ、と。これは僕たち占星術家には大きな課題です。僕たちは、クライアントの悩みにたいしてホロスコープのなかに具体的な答えを求めようとします。星に原因を探そうとするのです。しかし、この星のせいだ、といったところでそれがなんになるのでしょう。極端にいってしまえば、占星術家は人生の秘密を星のなかで知ったつもりになっている尊大な愚か者になり、クライアントは疑似科学的な幻想生成マシンに使える愚鈍な神官に奉仕する犠牲者になってしまうだけです。

 けれど、その一方で、河合隼雄先生もおっしゃるように、人は「因果的な説明を好む生き物」なのです。それを、一種の戦略として使うことができれば、これほど有効なツールはありません。さて、おとといはバレンタインデイでした。愛の祝日でした。ロマンチック・ラブだけではなく、さまざまなレベルでの人と人とのつながりを意識できる日になればいいなあと思っております。風邪が流行しております。どうぞ、お体にはお気をつけて。

2003年2月16日 鏡リュウジ拝


拝復 鏡リュウジさま

 今のアメリカに大阪弁丸出しで、「ほんま、弱いもんいじめのいけずはあかんどー。おんどりゃ、なにしてけつかんねん!」と言って、タジタジとさせることのできるような、ど迫力と余裕とユーモアのある国がほしいですね、ほんと。そんな中で、わが故郷(?)フランスは確かに、なかなかしたたかですわ。日本びいきのシラク大統領はんを見直しましたわ、今度ばっかしは。しかし、まだまだ二転三転あるでえ。

 それはともかく、世界の中で、関西人的なまぜっかえしと転換と現実的決着力を発揮する必要があります。「アメリカのあんちゃんよう、ほんな攻撃ばっかりしてても、いっこも、もうからへんでえ。そんなんやったら、あんた、最後にゃ、大損するでえー」と言って、諫め、イラク攻撃を止め、世界全体が「損をしない現実的な方法論」を共有することができるまでに粘り強く交渉し、妥結点を導くことのできる世界の関西人よ、出でよ! いや、自分らでそれをやったろうやないけ。そんな気がしきりにしているこの頃です。

 そんな世界史的緊急動議のさ中、1月の満月から2月の満月までの間に、わたしの身辺で、おもろいことがいくつかありました。その中の4つをここに書いておきたいと思います。

(1)「第3回岡山生命倫理研究会」1月25日
(2)「ムーンサルト・プロジェクトスタジオ開設と大重潤一郎監督のベルリン国際映画祭正式招待上映歓送会」1月30日
(3)「第7回天河太々神楽・護摩壇野焼き講」2月2日―4日
(4)映画「ヘドウィク・アンド・アングリーインチ」1月下旬から2月上旬にかけて熱中

 「第3回岡山生命倫理研究会」は、岡山大学医学部記念会館で行われた「生命倫理」の研究会ですが、これがなかなか面白く、勉強になり、なんだかこの実に現代的で困難な問題の渦中に突入していくことができることにワクワクしてきました。昨年の11月17日付けムーンサルト・レターに書いたように、実は、わたしは昨年10月に、岡山大学大学院医歯学総合研究科博士課程を受験して合格しました。だから、今年の4月から岡山大学の医学部系大学院の学生になります。とはいっても、メディカル・ドクター(医師)になるわけではありません。将来、医学博士論文を書いて、医学博士のドクターになるかもしれませんが、医師にはなりませんし、なれません。しかし、医学や生命科学や精神医学や生命倫理学を真剣に学びたいと思っています。そんなことがあって、岡山大学大学院医歯学総合研究科法医生命倫理学講座の粟屋剛教授から案内されて、この研究会に参加したのです。演題は、次の3つでした。

演題1「医の倫理、医療倫理、生命倫理はそれぞれどう違うのか」粟屋剛
演題2「日本の医療はなぜ歪んだのか」 品川信良・弘前大学名誉教授(産婦人科医)
演題3「安楽死がそんなに悪いのか」谷田憲俊・兵庫医科大学消化器内科助教授

 この3つともに、大変刺戟的かつ問題提起的で、これからの学びの道の過激さを思って武者震いがしました。これは半端じゃありませんよ。人類が直面した未曾有の事態をどう舵取りしていくか、その認識・決断・実行・倫理のすべてがトータルに問われます。「2001年宇宙の旅」のモノリス・インパクト以来のインパクトですね。これから実に大規模な人類改造計画がいやおうなく進行していくのですから。「人間の条件とは何か? 人間はどこから来てどこへ行くのか?」という問いが、クローン人間や安楽死や脳死・臓器移植問題やES細胞の問題に端的に現れ出ています。

 折りしも、世界初のクローン羊のドリーちゃんが6歳で「安楽死」したという報道がされました。ドリーは、6歳のメス羊の乳腺細胞を他の羊の未受精卵に移植し、そして、代理母の子宮で育てられた後で出産させられたクローン動物でした。とても複雑で、高度な生殖技術を以って「創造・化合された生命」なのです。しかしその生命には、その生命としてのかけがえのない個体性があり、「母複合」(乳腺細胞・受精卵・代理母)とは異なる人格、いや羊格を持っているのです。

 ドリーは、通常の羊の半分の寿命でした。普通の羊は、12歳が平均寿命だということです。ドリーは、1996年7月にスコットランドのロスリン研究所で生れました。2001年の終わり頃から関節炎にかかり、進行性の肺疾患に感染して回復の見込みがないので、2003年2月14日に「安楽死」させられたのです。関節炎は高齢の羊に特徴的な病気だということですが、このように、生命を「創造」し「安楽死(?)」させることが許されるのでしょうか? この報道を読んで、わたしの生命感覚は、怒りと理不尽と、言葉にできないわだかまりを呑み込んでよどんでいます。

 ロスリン研究所の人たちは、ドリーちゃんのお墓を作ってあげたでしょうか? どのように、ドリーの死を弔ったでしょうか? この問題は、わたしの中でかなり尾を曳きそうです。わたしは人間がしんそこ一番野蛮で下品な動物だと思っているので、人間が他の動物をこのようにほしいままにすることには耐え難い怒りと悲しみをおぼえるのです。人間にそんな権利があるのか? 人間こそが真っ先にそのようにされてもしようがないようなことを、やりつづけてきたのではないのか?世界に「悪」を創造したのは人間ではないのか? 人間のこの野蛮さは、野生(野性)からもっとも遠いものだと思います。わたしの「グル(導師)」は、生まれつき眼球のない捨て猫の「ココ」ちゃんなので、いつも7歳の彼女に51歳の人間のわたしは自らの愚かさと野蛮さを思い知らされています。動物の高貴さを本当に真剣に見習いたいものです。

 話がだんだんパセティックになってきましたので、話題を転じます。わたしは、東京自由大学前学長(現在・同特別顧問)の瞑想画家の横尾龍彦氏と千代田区神田紺屋町5番地 野水ビル5階に芸術創造スペースを借りました。「神田」紺屋(今夜)町のここを拠点に、わたしじしんの後半生の芸術活動を発信していきたいと夢を抱いています。そしてゆくゆくは、このカンダと、Parisのカルチェ・ラタンやサン・ミッシェルを二つの拠点にして、平和と芸術と霊性の探究の活動をしていきたいと心に期しています。そのスペースの名前は、「横尾スタジオ&Moonsault Project」と言います。その開所式を先月末の1月30日に行ったのです。ちなみに、東京自由大学は同じ野水ビルの4階に引っ越しましたので、上と下のご近所となります。

 その東京自由大学の副理事長で、映画監督の大重潤一郎氏のドキュメンタリー作品「小川プロ訪問記」(62分、2001年リメイク製作、原作1981年)が、このたびのベルリン映画祭フォーラム部門の正式招待作品となり、このため、大重監督が2月13日から16日までベルリンに行くことになりました。同映画祭では、この作品は2月13日と15日の2度公開上映され、NETPAG部門(アジア映画部門)の有力受賞作品の対象となっていましたが、残念ながら受賞は逃したようです。

 この映画の内容は、大島渚監督が、1981年夏に小川プロの小川伸介監督を訪ねていって、対論したのをまとめたもので、日本映画の歴史的な記録としても価値があります。大重監督は、これまで「黒神」(1971)、「風の島」「光の島」(1995)、「縄文」(2000)、「ビックマウンテンへの道」「魂の原郷ニライカナイへ」(2000)などのドキュメンタリーを撮り続けてきました。

 昨年、沖縄に移住し、昨12月にNPO法人「沖縄映像文化研究所」設立を沖縄県に申請し、今月末には認証される予定です。腰を落ち着けて、沖縄をドキュメントしていくとのことです。同研究所の筆頭理事として民俗学者の比嘉政夫さん、顧問として哲学者の梅原猛さんや宗教学者の山折哲雄さん、評議員として宗教学者の中沢新一さんや町田宗鳳さんが協力・支援してくれています。わたしも理事の一人です。同研究所は、会員を募集しています。また、それとは別に、3月以降に「久高島オデッセイ製作委員会」を立ち上げる予定です。これは、これから12年かけて、久高島の生活と祭祀を撮り続けていく仕事を支援する会です。これも応援していきたいと思っています。(会員申し込み・問合せ先:沖縄県那覇市上間1-28-1 NPO法人沖縄映像文化研究所 理事長大重潤一郎 TEL&FAX098-836-5751)

 つい最近、大重さんの古層三部作(「縄文」「ビックマウンテンへの道」「魂の原郷ニライカナイへ」)の仕事を世界に発信するために、二人で協力して「縄文革命(Jomon Revolution)」という37分のヴィデオ作品を作りました。その中に、わたしの神道ソング「弁才天讃歌」と「神」が使われています。(そのシナリオをホームページの「鎌田東二創作集」にUPしますのでご覧ください)。

 「神」という曲は、沖縄で作曲したものですので、縁を感じています。この曲の歌詞は、わたしがまだ「神道ソングライター」になっていなかった頃、伊勢の猿田彦神社の祭り(おひらきまつり、1997年)で沖縄からりんけんバンドを迎えて奉祝行事の記念演奏をしてもらったのですが、その時、新曲として「神」をいう曲を作ってほしいと、わたしが作詞して照屋林賢さんに渡したものです。残念ながら、沖縄の言葉(ウチナー語)で曲を作るりんけんさんに作曲してもらえなかったのですが、1998年12月22日、わたしは沖縄に行って喜納昌吉さんと対談した翌日、友人の那覇市文化協会の事務局長の佐藤善五郎さんを訪ねていく前に、少し時間があったので、朝の8時半ごろ、沖縄市役所前の喫茶店で時間をつぶすためにコーヒーを飲んでいた時に、ふとメロディが涌いてきて、それを「神」の歌詞と結びつけて作ったものです。ですから、この曲は、ギターやピアノを使って作った曲ではなく、どこから湧いてきたのか降ってきたのかわからないけれど、そうやってできた曲なんですよ。宙から降りてきた曲なんです。それが「縄文革命」に使われるというのは、感慨無量のものがあります。8 millions gods & goddesses の神ながらの意思を感じて。

 わが人生には不思議なことが山ほどありますが、天河大弁財天社とも不思議な縁です。1984年4月3日、わたしは太田千寿さんに降りてきていた三島由紀夫からの霊界通信を審神(さにわ)されたという天河社の宮司・柿坂神酒之祐さんに一人で会いに行ったのです。それが最初の天河訪問でした。それから100回以上は天河詣でをしているでしょうが、毎年、2月2日・3日・4日の3日間、わたしたちは「天河護摩壇野焼き講」という講組織を作って参拝しているのです。わたしにとって新年は、この行事から始まります。

 2月2日の夜、天河では「鬼の宿」と呼ばれる特殊神事が行われます。柿坂宮司家は役の行者の従者となった前鬼・後鬼のうち、前鬼の子孫だと言われています。そこで新年にご先祖様の「鬼様の霊」をお迎えする神事がこの「鬼の宿」となるのです。ここでは「鬼」は「神」であり、「祖霊」です。その「鬼様」を迎える二つの布団の枕元に「オニギリ」をお供えし、直会でもみんながオニギリをいただくのは、素朴ではありますが、神聖でもありご愛嬌でもあります。オニギリをほおばる人々の顔も実にほっこりと豊かです。

 その翌日、神社の節分祭では、「福は内、鬼は内」と叫びながら豆撒きが行われます。その夜、わたしたちの護摩壇野焼き講のために、護摩が焚かれます。今年は7回目の護摩壇野焼きの火が点され、翌日、わたしたちの作った陶器作品がその中から焼き上げられて出てきます。その護摩の火の前で、「神」「弁才天讃歌」「なんまいだー節」の3曲を奉納演奏しみんなで歌いました。

 「鬼」を「神」として迎え入れる心は貴重です。それこそ、神や仏の心ではないでしょうか。イラクや他の国々を「悪の枢軸」と決めつけるのは、それを「鬼」として排除しやっつけようとする心で、それがあるかぎり、戦いはなくなることはないでしょう。「悪」とは何でしょう? 「鬼」とは何でしょう?

 昔、アメリカとイギリスは、「鬼畜米英」と呼ばれていました。その差別的な発言をいいとは絶対思いませんが(なぜならわたしは「鬼」を「神」とし「畜」を「師(グル)」としている人間ですから)、アメリカやイギリスの非道が非難された歴史的事実を忘れてはなりません。アメリカはインディアンのホピ族やナバホ族の聖地を奪って、ウラン鉱を採掘し、日本に原爆を落としたのです。それは「悪」ではないのですか? それを「悪い」と言わずして、何を「悪い」と言うのでしょう? アメリカの論理は欺瞞と詐術に満ちています。昔から。ほんとうに「インディアン、ウソつかない。白人、みな、ウソツキ!」です。

 話がまた、米英批判に移ってしまいました。わたしたちは、護摩野焼きを祈りの神事として、縄文時代以来の野焼きの陶法とインド起源の密教の護摩と修験道の護摩をミックスして、現代の「縄文革命」を起こそうとしたのです。わたしたちの生活の足元から。それが7年にわたる天河護摩野焼き講の祈りであり、実験でした。大重さんの「縄文革命」の中には、インディアンの聖地・ビックマウンテンを守るナバホ族の老女性とそれを支援する日本人の活動を描いたドキュメンタリー「ビックマンテンへの道」が紹介されています。ぜひ、一度見てください。

 三島由紀夫は「日本を守る。日本の魂を守る」と叫んで、割腹自決して死んでいきましたが、太田千寿さんへの「霊界通信」に「日本をまほろばにせよ!」とメッセージを送りました。「まほろば」とは「まことにうるわしい土地」のことです。日本のみならず、アフガニスタンもイラクもアメリカもイギリスも、どこもを「まほろば」にすることが求められているのではないでしょうか? それが人間に課せられた課題ではないですか? それができなければ、人類は他の生物のために絶滅すべきだと思います。ほんとに。人類の自己犠牲が必要です。生命の尊厳を守るためには。

 「ヘドウィク・アンド・アングリー・インチ」は、1961年東ベルリン生れのゲイのパンクロッカーの物語ですが、このストーリー・テリングと映像と歌とパフォーマンスに完全にはまってしまいました。CDまで買いました。これについては、レターが長くなりすぎるので、次回にゆっくり話したいと思います。鏡さんはこの映画は見られましたか? もしご覧になっていたらぜひ感想をお聞かせください。わたしの中では、この10年間の映画ベストワンです。

 ところで、昨年末に「地球公共ネットワーク」を有志とともに結成しました。その結成趣意書はホームページの冒頭に掲載してありますが、2月22日・23日と千葉大学でこのネットワークが主催して、イラク非戦会議「地球的平和と公共性――イラク戦に抗して」と題して、会議を開きます。関心のある方がいれば、ぜひご参加ください。プログラムをレターの後に貼り付けておきますのでご参照ください。とても長くなってしまいました。それでは次の満月までごきげんよう。わたしは、3月に2週間ほどアメリカへ行き、いったん帰国して、すぐまたドイツとイギリスに10日間ほど行ってきます。初めてのアメリカ行きとなります。心して行ってきます。

2003年2月17日 鎌田東二拝


イラク非戦会議「地球的平和と公共性──イラク戦に抗して」  
主催  地球平和公共ネットワーク
共催  公共哲学ネッワーク 足の裏で憲法第9条を考える会

プログラム大要

千葉大学 人文社会科学系総合研究棟(社文研棟)4F 共同研究室の予定。

2月22日(土)

午前(9時半─12時半) 司会:山脇直司 基調講演:武者小路公秀(中部大学)(9時半─10時45分)「近代『敵・味方』社会における『和』―合目的倫理と共生倫理の弁証法的総合を目指して―」 コメント:鈴木規夫(愛知大学)セッション1:「和」と平和 (10時45分─午後1時) 報告:板垣雄三(東京大学名誉教授)「襲い来る大洪水を前にして──『和』の再考察」 各種コメント・発言など

午後(午後2時─ ) セッション2 カントと平和公共哲学(2時─4時半) 司会:黒住真 報告:舟場保之(関西学院大学)「トラブルと理性の公的使用」 大橋容一郎(上智大学)「道徳法則とケア倫理」各種発言・コメントなどセッション3 声明問題・総合討論(4時半─6時半) 司会:千葉真・小林正弥(千葉大学)「新しい非戦平和の論理――非戦声明の可能性」各種発言・コメントなど

2月23日(日)

午前(9時半─12時半) セッション4 学生とNPO(9時半─12時半) 司会:西田清志 報告:小川真吾(学生、地球村)・高木佑輔(学生)「平和大綱について」(10時―) 山本登志哉(前橋国際大学)「閉塞する『優しい』人間関係とナショナリズム:学生たちとの対話から感じられるもの」久山宗彦(カリタス女子短期大学学長(日本・中東アフリカ文化経済交流会)「イラク人の危機意識とイラク人が日本人に望むこと」

午後(1時半─6時半)
セッション5 平和運動(1時半─4時半) 司会:鎌田東二 報告:ダグラス・ラミス(元・津田塾大学)「平和憲法をどのように実現するか」 千葉真(国際基督教大学)「地球平和公共ネットワーク結成の意義──平和党の可能性」 各種発言・コメントなど セッション6 総合討論(4時半─5時) 司会:小林正弥 声明問題・各種発言・コメントなど セッション7 平和の術(5時─6時30分) 司会:千葉真 鎌田東二(武蔵丘短期大学)「アート・オブ・ピースの方法とその可能性」 福島泰樹氏(歌人、僧侶)短歌・詩朗読 鎌田東二歌3曲

※これはプログラム大要で、現在も打診中の方がおられますので、最終版を以下でご確認下さい。
http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/network.htm

※参加は自由ですが、予め公共哲学センターに一報して頂くと、レジメなどを用意できます。
public-philosophy@le.chiba-u.ac.jp

千葉大学への交通経路
http://www.chiba-u.ac.jp/general/about/map/route.html

西千葉地区
総武線西千葉駅(千葉駅の一つ手前)。
JR総武線秋葉原駅からJR総武線西千葉駅まで約50分
JR総武線西千葉駅下車北口から徒歩5~15分
(西千葉駅には、特急、快速電車は停車しません。)
京成千葉線みどり台駅下車徒歩6分~15分

千葉大学内
http://www.chiba-u.ac.jp/general/about/map/nishichiba.html

西千葉駅、駅から10分ぐらい。JR改札口を出て左側に出る。駅から出てさらに右左の分岐の内、斜め左側の方の道を進む。信号を渡ると、南門があり、そこから入ることもできる。ただ、初めての人はさらにすこし歩くと正門があるので、そこから入った方がわかりやすい。南門から入った後は直進。左側にまず大きな建物(けやき会館)、さらに生協の建物を越えていくと、周囲がガラス張りの新しい建物があり、それが大学院社会文化科学研究科の新棟。その4階に共同研究室があり、3階に公共哲学センターが存在する。

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