2001/12 満月 - Moonsault Space
![]() 早いものでもう21世紀最初の年が暮れようとしています。最近、ますます時間がたつのが早くなってゆくような気がしてなりません。うかうかしていると、このまま何もしないで何年も過ぎてしまうのではないか、というふうに少しばかりあせりを感じてしまうほどです。八面六臂の鎌田先生のご活躍を見ていると、僕もがんばらなくてはという気にさせられます。 最近、本当に思うのですが、僕は周囲の人に暖かく守られているのだなあということです。本当か嘘かはわかりませんが、クリスマスやお正月というのは、ホステスなど接客の仕事をしている女性達の自殺率があがるという話を聴いたことがあります。それは流動的な社会のなかで、一人で生きるものたちのひとつの姿を現しているように思えてなりません。「家族」や「恋人」という(フィクションでもいいから)つながりをもつものとそうでないものとの明暗がくっきりと分かれるのが、この年末年始ではないかと思うのです。少し前に流行した「ブリジッド・ジョーンズの日記」が共感をもって女性達に受け入れられたのも、自由と引き換えに孤独を引き受けることになったシングルの女性たちの痛みを、コミカルに笑い飛ばしながら描いていたからでしょう。(コミックにしなければ、イタすぎるのでしょう) 僕はシングルトンの女性ではありませんが、コミュニテイの喪失が叫ばれて久しいこの時代に、フリーランスで、一人身でいるという、全くの根無し草のような生き方をしている僕は、そうした女性たちとどこか通じるところがあるような気がします。場合によってはもしかしたらもっともっと深い孤独のなかに落とし込まれてしまっていても仕方がなかったのかもしれません。幸いにも、僕には実家の京都の家族や仲間たちというバックグラウンドもありますし、また、東京、ロンドン、NYの友人たちや先輩たち、そして後輩達からの支えがあります。地縁、血縁、そしてそれに縛られないもうひとつのつながりが生まれつつあると実感しているのです。しかし、その一方で、孤独の感覚を持ち続けることの重要性も僕は今また感じています。 世界が戦争の足音におびえているときに、なぜこのような「女性雑誌」的な話題に終始しているのか、いぶかしがられる方もいると思います。しかし、こんなときだからこそ、僕はこういう「つながり」と「孤独」の感覚が大事になるのだと思うのです。自分と家族や国家という大地的な共同体と無自覚に一体化していると「お国のために」命を投げ出すことも出てきてしまうでしょう。そういえば、テロリズムという言葉とTerra(大地)が近接した言葉であるというのは、偶然なのでしょうか。その一方で自由でいるばかりでは、自分を自分で支えきることはほとんど不可能でしょう。よほどの聖人でないかぎり、自分を自分で吊り下げるような離れ業ができるとは思えません。あるいは、絶対他力の境地にたつようなことはもっと困難でしょう。 それは、僕の言葉でいえば「母なるもの」(大地的なるもの)と「父なるもの」(星なるもの)との葛藤でもあると思います。鎌田先生のテーマで言えば、翁童論の主題でもあるかもしれません。家族的なエロテイックな共同体は母なるものが背景にあるような気がします。帰属意識や絆の感覚。生命の横溢を感じさせるもの。身体性。その一方で、砂漠に脱出してゆくモーセのような、あるいは月を目指して一人きりの空間へと飛び出してゆく自由な魂は、星の世界へと飛翔しようとします。このとき、大地の重力はとてつもない重みとして、のろいとして感じられるわけです。 このふたつの葛藤をどんなふうに抱え込めるか、ということが重要になってくるのではないでしょうか。僕が単純に「自然に帰れ」とか「家族を大事に」といった発想にたいしてうなずけないのは、きっといまだに僕のなかでこの葛藤が解決されていないからだと思います。また、ある種の理念を共有することで絆を創り出す、男性結社的なものにも帰属できないこともそれと関係があるでしょう。けれど、先生、こんなふうに書いていて、また新しいイメージが浮かんできました。それは父と母のことを内省する子供という姿です。つまり、自分の内側の衝動を直感している、自己言及的な子供というイメージ。 あるいはグノーシスの神話にあるように、神という自然が、自分の姿を見ようとして自分自身を覗き込んだというようなイメージです。具体的にそれが何を意味しているのか、僕にはまだわかりませんが、この時代のなかでは、何か自覚的なかたちでの、共同体のありかたを作ることが求められているような気がします。そして、もしかしたら、僕自身がその実験に意図しないままにまきこまれているという気もします。家族と友人、そして、それ以上、ないしそれ以外のかたちでつながっている友人に支えられている(そのつながりを、僕はなんと呼んでいいのかわかりません)ことを心から感謝しているのだけは確かなのです。 さて、年の瀬には、ちょっとだけサービスして来年の星の動きについてもお話しておきますね。来年はいぜんとして例の土星-冥王星の180度は続いてゆきます。この配置は前回もお話したように、「抑圧された弱者の反撃」「抑圧されたものの回帰」といった主題と密接にからんでいます。ブッシュは「来年は戦争の年になる」と言い放ったそうですが(なんという人でしょうか!)その言葉も半ばリアリテイをもってしまうような星回りです。しかし、これは同時に、抑圧されていたものが姿をはっきりと示してくるときでもあるのです。そのことに目を向けるべきときだ、ということでもあるのでしょう。そして、木星は7月一杯まで蟹座にとどまります。蟹座は共同体を意味する星座。こんなときだからこそ、心情の部分でつながりをもている共同体のありようが問われてきましす。木星は8月以降に獅子座へと入ってゆきます。獅子座は自己表現の力。具体的には何が出てくるのかそれこそわかりませんが、何か大きな光が見えてくるような気もします。自分をいかに表現するか、創造的にどんなふうに生きられるかということになってくるでしょう。 そうそう、少し僕のほうの近況報告もさせてください。やっとここ3年ほどやっていた翻訳の本が出ました。トマス・ムーアというアメリカの心理療法家が書いた『内なる惑星』(青土社)という本です。僕と、臨床心理士の青木聡さんの共訳です。この本はちょっと変わった本で、フィレンツエ・ルネサンスのプラトニズムをリードしたマルシリオ・フィチーノの占星術論を、現代の心理療法家の目から読むとどのようになるかということを書いたものです。ムーアは鎌田先生とのお手紙のなかでもときどき出てくるジェイムズ・ヒルマンの仲間で、元型的心理学の代表的な著述家です。また音楽家であるというのも先生と少し通じるところがあるかもしれませんね。ワールブルグ的なルネサンス研究と心理学とを接木する非常に面白い仕事で、ルネサンスのころの占星術を一種の公案のようなものにして、自在にイメージを紡いでいっています。 僕がルネサンス時代に惹かれるのは、--もちろん、たくさんの恐ろしいこともあったのは事実で理想化するつもりはありませんが--占星術、神学、プラトニズム、そしてその媒介者としてのイスラームなどが豊穣に渾然一体となり、文明が「衝突」せずに、豊かさを生み出していた数十年間があるからなのです。そして、その時代のテクストと現代の心理学が共鳴してゆくというのも、とても興味深いと思っています。この本はお送りしますので、ぜひご覧くださいね。それでは、また。よい年をお迎えください。そして、来年もぜひ、よろしくお願いします。今年は先生ともお近づきになれて、本当によかったと思っております。 2001年12月26日鏡リュウジ拝 鏡リュウジさま 1 鏡さんへの「パリ」よりの返信 鏡さん、2001年もまもなく終わります。この一年は鏡さんにとってもわたしにとっても大きな転換期だったのではないかと考えています。そのような転換期の6月30日の、神道でいう大祓いの日に、朝日カルチャーセンター横浜での講座で初めて出会ったという因縁は、何か浅からぬものを感じさせます。一年を二つに分けた時期の半分の終わりに出会い、その半年後、このような満月の夜のムーンサルトレターを交換しているという不思議。それはどのような星の縁結びなのでしょう? 話は突然変わりますが、4年前、1997年の12月、日仏合同研究の会があって、フランスに行って、パリのセーヌ川のほとりに立った時、わたしはこれから「本能のまま」に生きようと決心しました。「本能のまま」とは、食欲や性欲やさまざまな欲望を剥き出しにして生きるという意味ではありません。むしろその逆に、ストイックな次元で、肉体的な欲望を抑え、魂の欲望に殉じて生きることを決意したのです。わたしはそうした「本能」を特に「魂能」と呼ぶようになりました。「魂の本能に沿って生きる」、それがセーヌでわたしが誓ったことです。 以来、セーヌは、わたしにとって、死と再生の川となったのです。そこでわたしは生まれて初めて、あることを諦め、捨てる決心をし、実行したのです。ポンヌフ橋の上で法螺貝を吹き鳴らし、セーヌにわたしの過去を捨てました。これは、ロマンチックな作り話ではありません。リアルな現実です。でも、わたしの現実は、いつも何か夢のようですが。それまでのわたしはとってもフランスが嫌いで、特にフランス現代思想にかぶれて、その思想や言葉を振り回す知識人を忌み嫌っていました。パリなんて生涯に一度も足を踏み入れたくないところでした。 ところが、パリに行って、セーヌ川のほとりに立った途端に、わたしはものすごい安心感に襲われ、「俺はこの川とこの街をよく知っている!」と、突然思ってしまったのでした。その突然のデジャビュー的な感覚は決定的で、以来、わたしは「パリは俺の故郷だと!」言いふらし、友だちの失笑・爆笑・哄笑・冷笑を買うことになったのです。でも、そんなことお構いなしに、「パリが僕の故郷!」と言い続けて今日に至っています。とてもアホらしい、馬鹿げた、不思議なことだと思いませんか? 12月の末に日本に帰ってきて、年を明けた翌年の1998年1月7日に、「おまえは自分の欲望に溺れている。おまえがこの世で使命を果たすためには、おまえは自分の欲望を超えていかなければならない」という声が聴こえてきました。わたしはその日から、酒を断ちました。一番好きなものを断つことでその声に答えようとしたのです。そして、その年の暮れの12月12日からわたしは「神道ソングライター」として人前で歌い始めたのです。 12月は、だから、わたしにとって特別の時になっています。特に冬至からクリスマスの頃には、自分の転換がどうして起こったのかをよく振り返ります。この世での酒を飲む楽しみをわたしは捨てました。それは小さな楽しみであるといえるかもしれませんが、それまで、日常生活の中で一番好きなものは酒でしたから、それを捨てることはわたしには大きな意味を持っていました。また、正月に絶対に酒を飲んではならないという、酒にまつわる平安時代末から続いている家訓もあり、「業」という言葉が適切なくらい酒とは切っても切れない縁がありました。その縁や業を全部断ち切ろうとしたのです。それをあきらめることによって。仏教の戒律の五戒の中の第5番目が「不飲酒戒」で、仏道修行者が酒を飲むことを禁止しています。酒を止めてから、わたしは仏教の「不飲酒戒」の意味と力がよくわかったような気がします。それは確かに修行の妨げになる何ものかを誘発し、爆発させることがありますから。そのことはほんとうによくわかりました。話がのっけから変な方向にそれてしまいました。 2 鏡さんへの「チバ」からの返信 鏡さん、今日は、12月27日です。今さっき、千葉大学で行われていた第3回公共哲学研究会「地球的平和問題――反『テロ』世界戦争をめぐって」の第1日目のプログラムを終えて、宿舎になっている千葉駅前のサンガーデンホテルに入り、このレターの続きを書き始めました。帰りがけに、冬のお月さまがとてもきれいに見えました。千葉駅は30年ぶりくらいで来ましたが、ほんとうに様変わりしましたね。びっくりしましたよ。わたしの「故郷」のパリのシャンゼリゼ通りのような優雅なイルミネーションに飾られていて(?)、千葉も変われば変わるものだと感心しました。 もっとも、わたしの住む大宮もこの30年で変わりに変わりましたから、その意味では当然の変化かも知れません。30年前に初めて大宮駅に降り立った時、この駅舎の向こうに青函連絡船が見えるはずだと思ったくらいですから。昔の大宮駅はそれほど青森駅とよく似ていたのです。少なくとも、わたしはそう思っていました。それは、四国生まれのわたしにはなじみのない東北の匂いがしました。ちなみに、誤解のないように急いで言っておきますが、わたしは東北と沖縄は大好きで、日本の原風景と伝承文化が今でも強く息づいているとても大切な土地だと思っています。 都会化した千葉駅のホテルの13階の一室で時折り夜景に目をやりながら、今年最後のムーンサルトレターを書いているなんて、ちょっと変な感じがします。それも「地球的平和問題」を議論した夜に。全国から50人以上のそうそうたる研究者が集って年末のこの時期に3日間ほぼカンズメ状態で緊急の研究会議を開くというのは尋常な事態ではありません。ほんとうに非常時です、今は。世界は戦争に突入しているし、日本は参戦状態だし。今回の会議の開催趣旨は次のようなものです。長くなりますが、重要なので引用しておきます。詳しく知りたい方は、このホームページとリンクしている「公共哲学研究会」にアクセスしてみてください。 3 第3回公共哲学研究会『地球的平和問題』会議 開催趣旨 米国同時多発テロ事件以来、世界は大きく動揺し、戦争が始まって日々死者が生じている。日本においても、テロ特措法や自衛隊法改正が成立し、自衛隊が派遣されて、平和憲法や平和主義が大きく揺らぐ事態を迎えている。これは、世界的な危機であり、かつ日本としても戦後の国是ないし公共哲学が根本的に転換しかねない事態である。戦後においては、講和問題や安保改定問題などの際、平和問題談話会をはじめとして、分野を超えた人々、とくに知識人が全力を尽くして社会的な発言を行い、公論の形成に尽力してきた。戦後の平和主義が辛うじて保たれてきたのは、これらの遺産でもある。しかるに、現在、この伝統が崩壊しかねない危機を迎えているにもかかわらず、知識人の社会的発言や努力は、あまりにも小さいように思われる。 私たちは、公共哲学共同研究会(将来世代国際財団・将来世代総合研究所主催)などを通じて、この数年間、今後の公共哲学の姿について、学際的な観点から包括的な検討を進めてきた。従来の公=官=国家とする公観念を打破し、個人の「私」を尊重しつつも、そこから出発して「公」へと開く考え方(「活私開公」金泰昌) や、国家を越える公共観念を提起し、そのもとでの中間団体ないし公共民組織、公共的知識人の働きの必要性等を論じてきた(『公共哲学』全10巻参照、東京大学出版会、2001年11月より刊行)。これをさらに学問的・実践的に発展させるために、本年度よりプロジェクト「日本における公共哲学の構築のための包括的研究??地球的公共哲学ネットワーク形成に向けて」(平成13-16年度、科研費)を開始し、研究会を通じて公共哲学の基本的な考え方を学問的に整理しつつあった。そして、その中軸となる考え方をまとめる「公共哲学宣言」を起草し、知的交流のための公共哲学ネットワークを形成する構想を抱いていた。 一方、将来世代国際財団・総合研究所によると、ユネスコでは、マイヨール前ユネスコ事務局長が「戦争の文化から平和の文化へ」という観念を掲げ、また松浦現ユネスコ事務局長は、これを発展させるために、日本の「和」を始めとする非西欧圏の平和観念に関心を抱いたという。 国連では、イラン・ハタミ大統領の提唱により国連プロジェクト「文明間の対話」が提唱されている。そこで、私たちは、これらを促進するためにも、日本の「和」や諸地域に抱かれて来た平和をめぐる観念について、その難点を乗り越え、新たにそれを脱構築・再構築して、平和主義に確固たる思想的基礎を与える必要があることを論じてきた。従来の国家を越えた公共観念は、今日において、地球上において平和をもたらす思想的意義を持つべきだからである。 このように研究を進めているその時に、私たちは、同時多発「テロ」事件と、世界的な 「戦争」の勃発に直面した。そこで、「テロ」事件直後に、公共哲学プロジェクト構成員を中心として、予定を早めて急遽「公共哲学ネットワーク」を有志で形成し、ホーム・ ページを開設して、インターネットを通じて情報・意見交換や提示を試み、良質な公論の形成に努めてきた。今ほど、平和のために公共的意識をもった人々(公共的市民=公共民)の結集や連帯が必要とされる時はないであろう。そこで、インターネット上の仮想空間を超え、さらに直接に討議する場を設けて、今回の事態を学際的かつ包括的に検討するために、本会議を開催することとした。かつて「平和問題談話会」は、ユネスコから発表された共同声明を契機として、それを議論するところから出発した。その精神を継承しつつ、――従来の平和主義が「一国平和主義」と批判されて危機に晒されている中で――これを地球的な観点へと発展させる事を念願して「地球的平和問題」という題を選んだ次第である。 今回の呼びかけの基本目的は、眼前の事態をめぐる考察を通して、地球的な平和の回復実現を目指し、戦後日本の公共哲学としての平和主義を再構築する事にある。この目的を実現するためには、様々な立場から成果を種々の手段で公表することにより、社会的貢献を可能にし、もって良質な公論の形成に努めることが必要であろう。場合によっては、地球的平和の実現のために、具体的なプラン・政策を考えることも必要となるかもしれない。学術的な情報や見解の公開はもとより、平和問題談話会のひそみに倣って、必要かつ可能であれば、公共民(公共的市民)としての見解・声明・政策提言等の公表なども検討したい。地球的平和の実現のため、公共的な知と実践を、様々な立場において探求する人々の幅広い参加を呼びかける次第である。 2001年11月 公共哲学ネットワーク有志 4 鎌田東二の発表レジュメ「実践的公共哲学・公共倫理としての『祭り』――実践的神道からのアプローチ」 この会議の3日目、12月30日の最終日の最終発表をわたしが行います。題して、「実践的公共哲学・公共倫理としての『祭り』――実践的神道からのアプローチ」。ホームページの「世界追悼・グローバル・ピース・セレモニー」に掲載した真珠湾での報告などを含めて、わたしが考え実践してきた神道の平和への可能性について発表します。そのレジュメは、以下のとおりです。 実践的公共哲学・公共倫理としての「祭り」――実践的的神道からのアプローチ 2001・12・30 於千葉大学公共哲学研究会 鎌田東二 1 「伝承文化」に見る実践的公共哲学・公共倫理・民衆的エートス 神話・儀礼・物語・昔話・伝説・諺・格言 2 実践的公共哲学・公共倫理・民衆的エートスとしての「祭り」 1)待つ――(カミのオトヅレを)待つ行為としての祭り 2)奉る――供え物を奉る行為としての祭り 3)服ろう――大いなる存在と意思に従う行為としての祭り 4)真釣り――真の大いなる均衡・バランスとしての祭り art of/to dynamic harmonyとしての祭り 神々・自然・人間・社会の大いなる調和を求め実現するワザとしての祭り 3 公共的市民の「祭り」の事例 1)喜納昌吉の「祭り」の実践――うるま祭り 第1回―1983年、第2回―1987年 ニライカナイ祭り、白船計画―1998年(注1)「すべての武器を楽器に」「すべての基地を花園に」「すべての人の心に花を」「戦争よりも祭りを」 2)おおえまさのりの「祭り」の実践――いのちの祭り 1988年(注2) 3)「神戸からの祈り」1998年8月8日・満月、於神戸メリケンパーク(Video1)超宗教・超宗派・市民の祭り(呼びかけ人・喜納昌吉、代表・鎌田東二) 4)「東京おひらき祭り」平成10年10月10日、於鎌倉大仏 5)「虹の祭り」1999年―2001年、於東大寺・春日大社、足摺岬・唐人駄場 1999 地球にごめんな祭 2000 ありがとう お帰りな祭 2001 旅立ちな祭 6)「ピース・ウォーク」2000年1月―2月 「ビッグマウンテンへの道」(Video2) 7)「グローバル・ピース・セレモニー」2001年12月7日(日本時間12月8日)、於ハワイ真珠湾、ネイティブ・ハワイアンの聖地(事前配布資料参照) 4 同時多発テロ事件(2001年9月11日)以降の公共的市民の「平和運動」の事例 1)「グローバル・ピース・キャンペーン」代表・きくちゆみ、協力・山田和尚 アメリカのメディア(ニューヨークタイムズ)に退役軍人の反戦平和のブッシュ大統領宛ての手紙を掲載する運動、イスラム系のメディアにも掲載 2)「平和の灯」分灯運動 山田和尚(神戸元気村・オープンジャパン代表) ただし、2000年3月より分灯運動を始める。 3)「愛と平和のプロジェクト」代表・天川彩 4)『非戦』緊急出版、坂本龍一、宮内勝典ほか(注3) 5 Art of/for peace――平和を構築する手法としての身体・芸術・宗教文化の活用/宗教間の対話と共生の回路を求めて、あるいはワザの復権・再布置 身体を平和にすることから心を平和にする 気功、ヨーガ、瞑想、鎮魂、オイリュトミー、お茶(茶道)、お花(華道)、舞踊、歌・音楽、祈り・祭り、平和のワザオギ *宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の黒衣の「そのひと」が語る信仰の違いを超える道 *同情(慈悲Compassion)と化学と実験と瞑想 *ほんとうのたった一人の神さま、たったひとりのほんとうの神さま(注4) 6 鎌田東二の事例――フリーランス神主・神道ソングライター・宗教哲学者(神道学者) 宗教と芸術と学問の総合・連動・連係・相互活性化 和とムスビの回路としての現代鎌田版ワザオギ CD『この星の光に魅かれて』(Moonsault Project)を2001年8月15日の終戦記念日に自主制作・発売(URL:http://homepage2.nifty.com/moon21/) 習合主義の哲学と倫理――例「君の名を呼べば」の各種真言・唱え事 原理主義と原理主義の対立を超える道とワザ 曼陀羅思想と八百万主義 鎮魂供養のワザ、「解怨相生」(金泰昌)の道 芸術・芸能・アートの重要性 宗教NGOに向けて 7 2002年9月、ヨハネスブルグにおける地球環境サミットへの提言「Art of Peace」への取り組み 身体からの平和運動・足の裏からの平和運動の提言 *生命史・人類史・世界史のバランスシート(貸借対照表)を作る努力と構想力。 *「存在の歴史学」「万物の歴史学」「宇宙会計学」の確立(夢のような学問の探究)。 *どこに、どのような負債(ルサンチマンなども含む)があるのか、誰が、どこが債権者であり、債務者であるのか、どのようにそれを償い、返却できるのかを、生命史・人類史を通して考える。 (注1)『すべての武器を楽器に』(冒険社、1997年) 1 神話と祭りの再発見と再生 2 エコロジー運動の深化 3 シャーマニズムの再評価 4 神仏習合文化の再創造 5 新多神教の創造 「天と地が交わるところ それは祭りである」 (注2)(八ヶ岳日誌2001年最終号 おおえまさのり「今、世界は――『Imagine』から『魂の源境へ』」より引用) 「夢見はあらゆるものの力であり、わたしたち生命あるものの源泉である。大地も、草木も夢見ている。宇宙は夢見ているのである。その夢見が今日のこの生命豊かな世界を創り上げてきたのである。夢見こそは希望であり、力である。その夢見を断ち、力を断とうとている。魂の源境にあるいのち輝く姿を夢見ることを。みんなが今ここを生きる姿、国境のない世界、平和のうちに生きるわたし、世界がひとつになること、それらを夢見ることを。その力を。(中略)」 「恨みによって恨みが消えることはない。恨まぬことによってのみ恨みは静まる。これは永遠の真実である」――ブッダ『ダンマパーダ』(中略) アメリカの言語学者であり文明評論家のノーム・チョムスキーの『9・11アメリカに報復する資格はない!』(文芸春秋)には、アメリカという国の言う自由とは、人道とは何か、アメリカがいかに世界最大のテロの親玉であるかがあぶり出されている。今回のアフガニスタンへの侵攻は、自らが率先してそれを世界に向けて証明しようとしているように見える。(中略) アメリカは自由の国なのである。どんなに自由かといえば、一九八〇年代アメリカがニカラグアに行った国際テロ――何万人もの死者を出した暴力的な攻撃――へのほしいままの自由であり、それに対して国際司法裁判所が下したアメリカへの、国際テロに対する有罪判決に対して、更なる攻撃で応える自由。ニカラグアは安全保障理事会に訴え、理事会は国際法を遵守するよう決議したが、アメリカは拒否権を発動。さらにニカラグアは国連総会に訴え同様の決議を二年連続して得るが、アメリカとイスラエルの二国は反対しつづけ、すべてを無効にしてしまった。国際法も、国連も、国際司法裁判所も、そんなもの在ってないのだと。これこそアメリカ式自由というものなのである。 アメリカの経済発展を阻害する温暖化防止条約なんてもっての外。自分のところは特別なんだと、生物兵器禁止条約からの離脱を突き付ける。アメリカの地雷は時限的なものと世界が禁止した地雷は作りつづけ、世界最大の、武器輸出とテロ支援のための武器供与国でありつづける。そして独占的なスターウオーズ(宇宙の軍事化)技術の開発。誰にも文句を言わせない全世界の通信情報の盗聴。アメリカが法であり、世界の警察であり、アメリカが世界標準なのである。人権や人道的介入を云いしたアメリカによる侵略戦争や国家壊滅のテロ行為は限りない。第二次世界大戦以後アメリカが戦争介入した国々――中国、朝鮮、ガテマラ、インドネシア、キューバ、ベルギー領コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバドル、ニカラグア、バナマ、イラク、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビア、そしてアフガニスタン。そこに打ち込まれるミサイル、小さな爆弾を無数にばら撒くクラスター爆弾、球場の五倍もの大地を吹き飛ばしてしまうデイジー・カッター(一種の気化爆弾)。打ち続く臨界内核実験。「ならずもの国家」を糾弾しようとするアメリカの戦闘はさらにこれからも広がりそうである。 民族殲滅――コロンブンがアメリカに渡った頃ラテン・アメリカ一帯に暮らしていた八〇〇〇万のアメリカ先住民は今やその五パーセント、大虐殺が行われたのだ。これらがアメリカのいう自由であり、人権であり、民主主義なのである。また今回のアフガンへの容赦のない爆撃は、アメリカに従わなければこうなるぞという世界に向けての強い脅しでもある。世界は恐怖している。そして同じことが、国家によるテロが、ロシアにより、中国により、イギリスにより、そして世界の多くの国々によってつづけられている。それ故に世界は、イデオロギーを超えて、対テロで団結したのである、日本も含めて。だが人類は第二次世界大戦の中で多くのことを学んできたはずではなかったのか。 「国が攻撃された場合、防ごうと努める、可能ならば。この教義に従うなら、ニカラグア、南ベトナム、キューバ他多数の国は、ワシントンや他の米国の都市で爆弾を爆発させているべきだったことになり、パレスティナ人はテルアビブの爆弾テロのたびに喝采を受けるべきだ。際限がない。そうした教義によって数百年の殺し合いの果てにヨーロッパが事実上、自から絶滅を招く事態に到ったため、第二次世界大戦後、世界の国々は違う盟約を作り――少なくとも形式的には――武力の行使は、武力攻撃に対する自衛の場合を除いて禁じられ、安全保障理事会が国際平和と安全保障を守るために行動するという原則を立てた。一つ挙げれば、報復が禁じられている。国連憲章五一条に述べられた意味では、米国は武力攻撃は受けていないから、こうした検討はこの際関係がない――少なくとも、われわれが国際法の基本原則が、われわれが嫌う者たちだけでなく、われわれ自身にも適用すべきだということに同意するならば。国際法はさておき、われわれは何世紀にもおよぶ経験を積んでおり、それはいま現在提起され多くの論者から大歓迎されている教義が何を引き起こすか正確に教えてくれる。大量破壊兵器の世界では、この教義が引き起こすのは、すぐにも差し迫った人間の実験の終焉である。それこそが、結局、ヨーロッパ人が何世紀にもわたって耽ってきた相互殺戮のゲームを終りにしたほうがいいといまから半世紀前に決めた理由なのだ」(チョムスキー) チョムスキーはつづけて言う。 「目標とするものが、暴力の循環をエスカレートさせ、九月十一日のような残虐テロ――遺憾なことに、世間が周知のもっとひどいテロ――の可能性をいっそう増すことならば、たしかに分析や批判を慎み、思考を拒否し、いままで関係してきた極めて重大な事実への関わりの度合いを減らすべきである。同じ忠告は、政治・経済システムの最も反動的で後ろ向きの連中を手伝い、わが国の一般民衆と世界の大半の人々に大きな害となり、もしかすると人類の存続をおびやかしかねないような計画を実行したがっている者にも当てはまる。その反対に、社会活動の目標が、これ以上の残虐テロの可能性を減らし、自由と、人権と、民主主義の希望を前進させることにあるなら、正反対の道を進むべきだ。今度の犯罪やその他の犯罪の背後に潜む要因を探る努力をいっそう強め、さらに精力的に、いままで決意をもって取り組んできた正しい大義に身を捧げるべきだ」(『9・11アメリカに報復する資格はない!』)(中略) ダライ・ラマ 2001年10月、欧州議会でスピーチ 「我々の前に新たに出現した地球的規模の共同体という意味において、戦争を含むあらゆる形態の暴力は紛争解決の手段としては全く不適当なのです。暴力と戦争は常に人間の歴史の一部であり、かつては勝者も敗者もいました。しかし、現在もし新たに地球的規模で衝突が起こったとすれば、勝者は全く存在しないでしょう。それゆえに我々は世界に対し、長期的に見て核兵器や国軍のない世界を求める勇気とビジョンを持つべきです。特にアメリカ合衆国での恐ろしい攻撃に照らして考えれば、国際社会は誠実に努力しその恐ろしいショッキングな経験を生かして、地球的規模の責任感――つまり対話の文化と非暴力を紛争解決に使用する――そこへ発展させるべきなのです」 「私はチベット解放という闘いを非暴力という道に導き、そして和解と妥協の精神で中国と交渉をしながら、双方に好ましいチベット問題の解決方法に一貫して狙いを定めてきました。……後に『中道的アプローチ』または『ストラスブール提案』として知られるようになった私の提案は、チベットが中華人民共和国の枠組みの中で真の自治を享受することを描いています。この解決策は、中国の国際イメージを大いに高め、中国政府の二つの最優先課題である安定と統一に貢献するのと同時に、チベット人にとっては、基本的人権と自分たちの文明を守りチベット高原の繊細な環境を保護する自由を保障するものとなるでしょう……」 ダライ・ラマは自らのチベット難民政府の民主化をも推し進めている。そして中国の民主化は中国にとってもチベットにとってもよいものになるであろうと。ダライ・ラマ十四世の提案するそれは、ミンデルの言う深層民主主義に通じるものがあるように思われる。対立の中にあるホットスポットを「空の中道」というTAO(道)において超えてゆこうとするのである。 「長老は、自然の大いなる潜在力から流れ出す情報を、日常生活にそそぎ込むチャンネルである。メタスキル(理論、情報、技法が適用されるときに伴う気持ち)を用いて、最も低い、最もおぞましい、あるいは最も高い、最もスピリチュアルなことを言う。そうして長老は『不可能』が起こるのを促すのである。長老は、自分自身や他人がエッジ(個人や集団におけるコミュニケーションの行き詰まり)を越えることを促す。すなわち、わたしたちを分離する境界を流れ越えることによってコミュニケーションを可能にするのである」(アーノルド・ミンデル『紛争の心理学』講談社現代新書) 国を追われて四十年、ダライ・ラマ十四世は、それでもなお、忍耐強く、非暴力と民主主義的な対話の道において、チベットのみではなく、中国共々の解放の道――心ある自覚の道を歩みつくしてゆこうとしている。不可能を可能とするべく。彼はいのちを、人類を信じているのである。それに世界は応えるべく歩み出してゆかねばならない――人類の終焉を望まないならば。人類の進歩を夢見るならば。(ダライ・ラマへのインタビューを終えて、『Tibet Tibet』の旅は終わりを迎える。そして旅人の彼は言う。「この旅をとおしてぼくは知った。それぞれが自分の民族性に誇りを持つことが、他の民族を認める第一歩になるということを。そして何よりも大事なのは、知るということ、自分、他人そして世界を」と。)」 (注3)宮内勝典「非暴力こそが真の勇気──『非戦』が生まれるまで」 この戦争は、まだ終わっていない。終わるどころか、いまも多くのことを炙りだし、ぼくたちに考えつづけることを強く迫ってくる。石油欲しさに他国へ介入する超大国のエゴ。白人主導主義。パレスチナ問題に対する、欧米の不公正さ。(その点に関しては、テロリスト側の要求がまったく正当であると思われる)金融・資本の暴走を食い止めるシステムを、本気で考えるべき時がきていること。イスラム社会には利子がなく、資本や欲望の暴走を抑えようとするシステムが、まだ機能しているようだ。アングロサクソンによる世界の再構築、新植民地主義も台頭しつつあるのではないかという危惧感も、ひそかに炙りだされてきた。 日本は、憲法9条を持つことを、国際社会にきちんと訴える必要があることも明らかになってきた。この国の基本的なあり方、姿勢などを、まともに考え、それを国際社会に知らせなければならない。そうでなければ、十年前の湾岸戦争や、今回の報復戦争と同じように、また泥縄式に対応することになるだろう。これでは、タカ派が勢いづいてくるばかりだ。ぼく自身は、憲法9条を楯にして、中立的な独自のスタンスを探っていくべきだと思っている。安保があるかぎり完全な中立はありえないだろうが、国際社会から孤立せずに、むしろ「尊敬」さえ得ることのできる独自のあり方、座標軸を探るべきだ。そのためには、平和への地道な貢献をしなければならないだろう。 自衛隊派遣は、逆コースだ。さらに連続テロと報復戦争は、宗教・文化の多様性についても、いやおうなく炙りだした。アメリカの一極支配、グローバリゼーションが完成して、ハンバーガーと、車と、ハリウッド映画が文化と錯覚されるような未来社会など、ぼくは望まない。多くの民族・文化が共生していくべきだろう。未来は、そこにかかっている。民族を基盤としたアイデンティティーも、いずれは役に立たなくなるだろう。人類は、いやおうなくクレオール化の方向へ進んでいくはずだ。文化もまた、輸血を必要としているのだ。そうした混血化・多層化から、新しい文化も生まれてくるはずだ。 文学の分野でも、すでにそうした現象が起こっている。過去ではなく、民族でもなく、多層化する未来のほうにアイデンティティーを探っていこう。平和とは、文化が活性化している状態のことだ。 そうした、さまざまの考えが『非戦』にぎっしりと詰まっている。ぜひ、読んでほしい。食うに困らず、頭上から爆弾が降ってくることもなく暮らしているぼくたちにとって、考え抜くことだけが、唯一の義務だという思われてならない。ぼくはいま月に一度、ピース・ウォークに参加して、路上に立っている。一緒に歩きながら考えよう。アフガン空爆がつづいているさ中、友人たちと一冊の『非戦』を生みだそうとしながら、痛切に思いだされたのは、「非暴力こそ真の勇気だ」と説きつづけた、マハトマ・ガンジーのことだった。 (注4)鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』岩波現代文庫2001年より この時、女の子の口から「神さま」という言葉が出たところから、ジョバンニと女の子と青年との間で「神さま」論争が戦わされるのである。その箇所を第四次稿から引用してみる。 「そんな神さまうその神さまだい。」 「あなたの神さまうその神さまよ。」 「そうじゃないよ。」 「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。 「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」 「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」 「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」 「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく両手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。みんなほんとうに別れが惜しそうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。 ここでジョバンニが言おうとしている「神さま」と、女の子や青年が言おうとしている「神さま」とは同じ存在なのだろうか。そうではない。なぜなら、彼らの議論はまったく成り立っていないのだから。ここで繰り広げられているのは、単なる自分の信ずる「神さま」の主張だけである。それゆえ、対話は平行線を辿って交わることがない。このエピソードは、宗教的対話が相互理解に向かう真の対話ではなく、それぞれの神観や他界観や理想の押し付け合いや単なる自己主要だけになって、きわめて独善的かつ排他的になってしまいがちなことを諌め、警告するような場面であるとも読みとれる。 ジョバンニは、どういう基準でか、「神」を「うその神」と「ほんたうのたった人の一人の神=たったひとりのほんたうのほんたうの神」とを区別している。ただ、本当のたった一人の「神さま」がどういう存在であるか、「ぼくほんたうはよく知りません」と素直に告白している。本当はよくわからないが、しかし「そんなんでなしにほんたうのほんたうのたったひとりの神さま」であるとジョバンニは主張する。この時の「そんなんでない」という異和の感覚と直観はどこから来るのだろうか。 その感覚と直観は、『よだかの星』の「よだか」が自分の名前を「神様から下さった」と思っているその思い込みの形とよく似ている。そこには独断とすれすれの超越的認識がある。断絶、非連続、異和を生み出す本質直観の超越性が。(中略)この平行線を辿る「神さま」論議は不毛な神学論争のようであり、宗教観の違いと対立と無理解を残しただけのようにも見えるが、それ以上に、過去の宗教教義の神観ではとらえられない「神さま」の絶対普遍性を強烈に求め志向する象徴的な対立と断絶のように見える。つまり、神学論争の不毛を超えて、真に永遠なるもの、普遍なるものを志向する心性のどうしようもなさの表現である。そしてそれは、「銀河」という宇宙論的な時空に具体的に媒介された永遠から導かれてくる宇宙普遍性への志向性である。 もっとも、この宇宙普遍性への志向性は、宮沢賢治が十八歳の時に出会った『法華経』の理解に導かれてくるものでもあった。二十代に宮沢賢治が心酔した国柱会は日蓮主義的在家仏教団体であったが、その所依の経典たる『法華経』の中心思想は、先に述べたように、久遠の本仏思想、法華一乗思想、菩薩道思想の三つであった。とりわけ、久遠の本仏という宇宙論的仏陀観と『法華経』こそが最高の仏の真理を説き明かした経典であり、その法華の信仰だけが真の悟りと救いに至る唯一の道であるという一乗思想は、原理主義的な一神教に近い思考法と攻撃的な激しい布教活動を生み出した。日蓮にも田中智学にもそうした法華原理主義的なラジカリズムがある。 実際、日蓮は「真言亡国、念仏無間、禅天魔」と他宗を激しく攻撃をし、時の権力にも歯に衣着せぬ批判と提言を送りつけ、弾圧を受け、殺されそうになったり、佐渡島に流罪に処せられたりしている。真言宗は国を滅ぼし、極楽往生と浄土の教えの念仏は信者を無間地獄に導く教えであり、禅を修めれば修めるほど悟りに行き着くことなく天魔の世界に堕してゆくと、当時流行の諸宗派をすべて断罪していくのだから当時の仏教界に大波紋を引き起こしたことが想像できよう。この強烈な折伏精神と一神教的な一乗思想。そしてそれは、『法華経』の仏陀観や生命観や宇宙観に導かれてくるものであり、日蓮の生きた中世という戦乱の時代の危機認識と日蓮の宗教体験に基づいて確立した極めて独創的かつ個性的な解釈であった。 宮沢賢治も一度はこの独断的ともいえる法華一乗思想の洗礼を受け、親友の保阪嘉内とも決裂している。同じ信仰を生きることの難しさをいやというほど味わったであろう宮沢賢治が、「ほんたうのほんたうのたったひとりの神さま」と言う声を上げるところは、彼のトラウマの深さを物語ると同時に、宗教間に起こる対立問題の根の深さとそれを超えてゆく道の探究を熱烈かつ切実に生きようとする姿を映し出していて胸に迫るものがある。多くの場合、宗教が求め、説く普遍志向性は、宗教的・教団的教理枠の中で矮小化され、独断的・ドグマ的に絶対視され、人の心をおおらかに、のびやかに開かせるようには作用しない。ご多分に漏れずこの青年も突き放すように、拒絶するかのように、冷笑するかのように言う。「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります」。 これは神学論争や教理問答の不毛な結末の典型的なパターンである。青年はジョバンニが心の底から志向している普遍性や絶対感覚を、やわらかい、未知と驚異と敬虔をもって受け止めようとはしなかった。青年は自分の殻から一歩も飛び出ようとはしていない。自分の城にとどまって、外に出ることなく防戦しているだけである。その青年は、おそらくはキリスト教プロテスタント派の作法に従って「つつましく両手を組み」、祈るしぐさをした。すると、女の子も同じように両手を組んで祈るしぐさをした。青年は、彼が信じる「ほんたうの神さま」であるキリストの「神さま」のみ前でまた会いましょう、あなたたちも正しい神信仰と神認識を得てそこまでおいでなさい、と高みからジョバンニとカムパネルラに説教的に諭しているのである。 それを聞いて、別れの場面でジョバンニは「あぶなく声をあげて泣き出そう」とした。互いの「神さま」についての相互無理解を抱いたまま。おそらく、宮沢賢治は生前このような神学論争を何度も戦わせる機会があったのであろう。宮沢賢治が尊敬していた斎藤宗次郎ともこのような神学論争があったかもしれない。 (中略) 「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えを分けてしまへばその実験の方法さえへまればもう信仰も化学と同じやになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゞさう感じてゐるのなんだから、 そらごらん、ぼくといっしょにすこしこゝころもちをしずかにしてごらん。いゝか。」 そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といふものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなわりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。 「さあいゝか。だからおまへの実験はこのきれぎれの考のはじめから終りすべてにわたるやうでなければいけない。それがむづかしいことなのだ。けれどももちろんそのときだけのものでもいゝのだ。あゝごらん、あすこにプレシオスが見える。おまへはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」 そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてそののろしは高くそらにかゝって光つゞけました。 (中略) 「神さま」や仏菩薩をめぐる知友や父との認識第三次稿にのみ登場してくる謎の人物である「そのひと」もジョバンニに独自の神学論を展開している。それは、「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えを分けてしまへばその実験の方法さえへまればもう信仰も化学と同じやになる」という神学論であり、科学論であり、実験論であった。各自めいめいが自分の神が本当の神だと言い張った時にはどうなるか。対立と戦いである。行き着くと異は、鷹とよだかのような殺し合いである。そして、力の強いものが勝つ。弱肉強食の世界である。武力行使の闘争世界、すなわち戦争の止むことのない修羅の世界である。 しかし、ここで「そのひと」は次元を変えてものを見る見方を教えている。違う感じ方のオリエンテーションがあることを示している。それは、「ほかの神さまを信じる人たちのしたことでも涙がこぼれる」という事実と感情の喚起である。たとえば、ガンジーのことを思い出してみよう。彼は敬虔なヒンズー教徒で、断食などの非暴力的方法でインドを独立に導いた。ヒンズー教という「ほかの神さまを信じる」ガンジーのしたこと思って「涙がこぼれる」人がいるだろう。事実、わたしがそうだった。マザー・テレサやダライ・ラマについても同じことがいえる。ゴータマ・シッダルタやイエス・キリストや孔子など「人類の教師」については言うまでもない。宮沢賢治が『農民芸術概論綱要』序論で述べている「師父」や「聖者」も同様である。 そのような、「ほかの神さま」を信じることで対立を起こすのではない道があるのだということを「そのひと」は示している。「ぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論」して「勝負がつかない」ことがあるかもしれない。お互いに自分が善であり正義であると主張し、相手を悪、あるいは悪魔であり不正義であると激しく批難攻撃することがあるかもしれない。しかし、その対立を超えていく道が必ずあるはずだ。「そのひと」は、その方法と道を「実験」に見出す。「実験」によって、「ほんたうの考」と「うその考」とを分けることができる。そうした「実験」の方法を見出せと示唆する。そうすれば、そこでは「信仰も化学も同じようになる」と言うのである。 残念ながら、人類史において、そのような「信仰と化学が同じやうになる」「実験」の方法は見出せていない。そしてこれからもおいそれとそのようなうまい「実験」方法が見つかるとは思えない。にもかかわらず、そのような道のありうることを宮沢賢治は「そのひと」の思想を通してその道とヴィジョンと希望を語ろうとする。それは、宮沢賢治そのひとが見出し、実践しようとして未完に終わった菩薩道の大悲の悲願の道である。 もう一つ重要なのは、「そのひと」が「実験」とともに、「こゝろもちをしづかにする」瞑想法を教えた点である。心を静かにする方法、瞑想や観想や精神統一によって、より深い洞察と認識に至るということ。これは古来より「師父」や「聖者」の教えた認識の大道である。ここに神学論争や宗教対立を超えて、「ほんたうのほんたうのたったひとりの神さま」を求め、見出して行く道だ生まれるのだ。 (中略) 宮沢賢治・文語詩未定稿「不軽菩薩」より ここにわれなくかれもなし ただ一乗の法界ぞ 法界をこそ拝すれと 菩薩は礼をなし給ふ 5 月夜の思い とりとめもなく、長くなりましたが、このようなことをあさって発表するつもりです。どうすればわたしたちはほんとうに平和をこの世界に構築できるのか。平和とはそもそもどのような状態を言うのか。考えれば考えるほど難しい問題です。簡単ではありません。宮内勝典さんは、「平和とは、文化が活性化している状態のことだ」と言います。そうだと思います。平和とは単に戦争のない状態をいうのではないと思います。わたしの言い方では、「人々が創造的に生きている状態」となります。もっといえば、それぞれがおのれの天命を全うして生きている状態。 しかし、今の現実はどうでしょう。「文化が活性化し、人々が創造的に生きている状態」だといえるでしょうか。年間3万人の人が自殺し、その多くが50歳前後のわたしと年齢を同じくする男性だという事実は、彼らが強いストレスと苦悩と絶望に耐えられない、きわめて非活性的かつ非創造的な状態であることを意味する以外の何ものでもありません。わたしたちは、真剣に平和を構築するワザやアートを編み出さなければなりません。さもなくば、人類はますます非活性化し、さらに非創造的な状態に陥り、早晩、滅亡するでしょう。「それが他の生命にとっては平和状態なのだから、それでいいじゃないか」という意見の人もいるでしょう。しかし、人間は滅亡するためにこの世界に登場してきたのでしょうか。それでは、人類が信仰してきた神あるいは神々や仏菩薩とはいったい何だったのでしょうか。それは人類を破滅に導く方向指示器だったのでしょうか。 この世には悪が横行し、この世にある限り絶対的な救いはない、と考えるのは、古代キリスト教最大の異端思想とされたグノーシス主義の考えですが、そのような考えがリアルに思えるこの今の現実であることは間違いありません。島薗進さんは『グノーシス 異端と近代』(岩波書店、2001年)の中で、グノーシス主義の特徴を「神秘思想における救済の熱望とニヒリズムの背中合わせの共存」ととらえています。また、佐藤研さんは、同書で、グノーシス主義の三大要素として次の特質を指摘しています。 1)人間の本来的自己と至高者とが本質的に同一であるという覚知(gnosis)を救済の根本とすること。 2)現実存在に対して徹底的に否定的な態度を貫徹すること。 3)上記の事態を神話的言語で象徴的に解き明かし、かつ教導すること。 究極の救済と現実否定が同居する事態。今の人類にはどのような究極的救済も見出しえませんが、しかし事態はとても「グノーシス的」になってきていると思われてなりません。若者は、「グノーシス的」な生を生きているとわたしは感じます。酒鬼薔薇聖斗はそうした「グノーシス的」生の否定性を徹底してしまった見本のようにも思います。またその逆に、宮沢賢治は、そうした「グノーシス的」生の感覚を「修羅」意識から「菩薩道」的実践に転換できた(しかし挫折した)稀有な例だと思います。今のわたしたちはみな、酒鬼薔薇聖斗になるか、宮沢賢治になるかのぎりぎりの稜線を歩かされているのではないでしょうか。実にきわどい事態だと思います。ぎりぎりのエッジを突っ走っている、暴走寸前の状況。 6 最後に 鏡さん、とはいえ、わたしは希望も夢も捨てたわけではありません。いや、前よりもいっそう、希望を持ち、夢を見るようになりました。わたしの哲学は、前回にも書いたように「夢は未だ実現せざる現実」というものです。未来への希望と夢は捨てません。わたしは昔からグノーシス主義とプラトン主義のぎりぎりの稜線を歩いて来ました。それは、世界否定と世界肯定の究極の「反対物の一致」を実現しようという、進化への強い意志を持った夢の種子がわたしの中に宿っていたからです。わたしは自分がよく宇宙人だと思うことがあります。こんな夜には特に。前回にも書いたように、わたしのStar-seedは、オリオンからやって来ました。あるいは、それ以前のメモリーも宿しているかもしれません。想い出せないだけで。わたしは変でしょうか。そう思われてもいっこうに構いませんが、平和を形作るためにはわたしたちはわたしたち自身の深い「変さ」に真向かわなければならないのではないでしょうか。 とりとめもない、とてつもなく長いレターになってしまってごめんなさい。この一年の総括と思って書き始めたら、こんなふうになってしまいました。新しい年がほんとうに平和への静かで力強い意思を実現できる転換の年になりますようにこころより祈ります。A Happy New Year! 神ながらたまちはえませ! それでは、新しい年のムーンサルト・レターのやり取りを楽しみにしています。 2001年12月28日鎌田東二拝 |