2003/1 満月 - Moonsault Space
![]() いよいよ03年ですね。新しい年はどんなふうになるのでしょうか。僕のほうは、お正月は京都で過ごしました。まだ二つの姪(双子なんです!)に会ったり、友人と久しぶりに時間を過ごしたり。でも、最近はコンビニもありますし、デパートも元日から営業してしまうところもあるし、なんだかお正月という気がしないものですね。便利になったのはいいけれども、少し寂しいような気もしてしまいます。 さて、年を新たにして、最近の星の動きにいろいろな連想を働かせています。今年は天王星が水瓶座から魚座へと移ります。また、土星は蟹座へ。とくに印象的なのは、天王星が魚座へと入ることです。天王星は、太陽系を84年で一周するサイクルをもっています。これを一人の人間の一生に当てはめると、誰でも42歳の、いわゆる厄年のときに天王星が生まれたときの位置に対して180度をとるわけですよね。これを天王星のハーフリターンといいますが、個人のレベルではこのころに「中年の危機」が訪れることになります。いやおうなく人生の方向転換を迫られるときです。またその半分が20歳から21歳のとき。成人式がどれほどの意味をもつのか、取りざたされていますが、このころには何か心理的な激的な変化があってしかるべきだというのが、占星術的なライフサイクル論からはいうことができます。 12星座に当てはめると、天王星は一つの星座をおよそ7年で通過します。天王星は、現代占星術では「プロメテウス」の元型的イメージに対応すると考えられていますが、神々の世界から火を盗んだプロメテウスのごとく、天王星は未だこの世界には実現されていない可能性を、なかば暴力的なかたちで引き出す力をもっているとされています。革命、変革、革新、突然の変化、発明、発見、技術、などが天王星のイメージ。先生のお好きな、 2001年宇宙の旅の、あのモノリスのようなイメージこそ、天王星だと思います。 過去7年、天王星は自らが支配する水瓶座を運行していました。科学技術の象徴であり、また情報を表す水瓶座の天王星は、占星術的イマジネーションを通してみると、まさにネットの爆発的普及を促したということができます。インターネットは、まさしく人類的なレベルで変革を引き起こしたということができるのではないでしょうか。アフガンの攻撃のときに明らかになったように、もはや情報を大国だけが支配することは不可能になったのです。重要なのは、こうした情報系にたいして人がどれほど意識的になるか、ということでしょう。 さて、魚座が象徴するのは何でしょうか。魚座は12星座最後の星座で、イマジネーション、スピリット、霊性などを表します。人々のイマジネーションを揺るがすようなかたちで何かの大きな変化があるとみるのが、ごく当たり前の解釈でしょうか。天王星が魚座にあるときに生まれた芸術家たちは、モーツアルト、ロダン、ルノアール、ジュデイ・ガーランド、ケルアック、ブレイクなどを数えることができます。また魚座はオイルやガスを象徴しますが、石油を中心に動いている今の文明に何かの変革の兆しがあるということかもしれません。医療、福祉、さらに映像メデイアでの大きな変化もあるかもしれません。 一方で魚座の支配星の海王星は、水瓶座にとどまり、水瓶座の支配星の天王星が魚座にはいって、専門用語でいう「ミューチュアル・レセプション」という状態を作り出します。これは天王星と海王星がともに強調される状態なのです。過去に同じ配置が起こったのは、1835年から1843年のころです。このころはいわゆるロマン主義の時代ですよね。平田篤胤が晩年をすごした時代。中山みきが天理教を起すのも、この頃だったのではないでしょうか。もちろん、歴史はそのまま繰り返すわけもないのですが、同じような「時代精神」が表れてくることが、占星術的には想像できるのです。天王星─海王星のコンビネーションは、何かスピリチュアルな新しい価値観をもたらすようなそんな気がします。もっとも、その前に火星が大接近したり、「戦」の暗示があるのは、気になるところなのですが。 今回は、どんどんと星占いのほうへと話がいってしまいました。このような想像力が何か新しい洞察を得るヒントになればいいのですけれど。ところで、藤原書店から刊行された『別冊環「ヨーロッパとは何か」』をとても興味深く読みました。中沢新一先生と鈴木一策先生の対談は、とくに心を揺さぶられました。これは「ヨーロッパ」の根底を見つめなおす対話で、それはひるがえってアジアや日本のありようをあぶりだすことにもなります。 中沢先生の本にいつもあるように、単純な一神教対アニミズム、という構図ではなく、今の世界を貫く根本的な思考のうねりが、キリスト教の発生と発展のなかに、あるいはイスラームへとそれが分離してゆくなかに潜んでいて、それを見抜くことが重要だということが伝わってきます。経済が戦争をはじめとするさまざまな問題を引き起こしていることは間違いがないことですが、その経済の基礎をなす「貨幣」が恐るべき魔力を秘めたものであって、そこに、ヨーロッパの宗教思想がわかちがたく結びついているということを、この対話は鮮やかに描きだしていました。魚座の天王星は、宗教や霊性のなかにひめられたもうひとつの秘密を、知性の力で明らかにするという象意を秘めているのかもしれません。それでは、またお手紙します。風邪が流行しているようですがお体にお気をつけくださいますよう。 2003年1月15日 鏡リュウジ拝 拝復 鏡リュウジさま 今年の星のめぐりについてのサジェスチョン、ありがとうございます。今年は何か、大きな転換が起こりそうな予感がします。文明の根底から変化の波が起こってきそうな予感が。アメリカも今のままでは自分を保ちえなくなるでしょう。反米主義の高まりが予想されます。 わたしは1月7日から11日まで、5日間、フィリッピンに行ってきました。フィリッピンは初めてでした。成田から4時間あまり。とても近い感じがしました。沖縄の那覇から同心円を描くと、東京とマニラが同じ円周上に並びます。ということは、那覇―東京間と、那覇―マニラ間との距離は同じということです。沖縄の人とフィリッピンの人の顔には、似ているところがたくさんあるように思いました。 わたしは15年ほど前から、「環太平洋祭祀文化圏」ということを主張しています。太平洋という海のネットワークと道を通じて、その周縁地域や圏域に共通の祭祀や神話や習俗があるということを注意を喚起してきたのです。たとえば、わたしが毎朝吹いているホラ貝を儀礼の場で用いることや、フンドシを正装として着用することなどもその一つの事例です。わたしも滝行や儀式の時にはフンドシを着用しますが、これは大変便利で、かつ衛生的な、世界に誇るべき下着文化だと思っています。 5年前にフィリッピンの映画監督キドラット・タヒミックさんと知り合いになりましたが、彼が本当に絢爛豪華なフンドシをまとって踊る姿を見て、心底感動してしまいました。フンドシは彼の文化的アイデンティティであり、誇りの原点でもあるのです。それもあって、去年わたしは西洋に発する「パンツ・グローバリゼーション」に対抗し、多様性を重んずるフンドシ少数部族のプロテストソング「フンドシ族ロック」を作り、フンドシ一丁になって明治公園で行われた9・11のイベント「Be-in」で歌いました。大受け(?)でしたね。そんなこんなで、フィリッピンには親近感を持っていたのです。同じフンドシ族として。 今回の訪問は、文部科学省科学研究費による研究「脳死・臓器移植の比較宗教学的研究」(通称「<いのち>の倫理研究会」)の海外調査が目的でした。同行したのは、研究代表者の町田宗鳳東京外国語大学教授(宗教学)、粟屋剛岡山大学教授(生命倫理学)、上田紀行東京工業大学助教授(文化人類学)、八木久美子東京外国語大学助教授(宗教学・イスラーム研究)とわたしの5人でした。たいへん「おもろい」メンバーで、笑いが絶えることがないという忙しさ(?)。 初日のモンテンルパ刑務所への訪問から始まって、法務省、厚生省、スラム街トンド地区訪問、国立フィリッピン大学での粟屋教授の「人体部品ビジネス」の講義(粟屋さんには同名の著書があります。講談社選書メチエの一冊)、そして映画「地獄の黙示録」のロケ地になった川と滝見学などなど、実に中身の濃い実り多き研究旅行でした。刑務所の囚人と話を交わしたのも初めてのことです。誘拐罪と詐欺罪で服役している日本人囚人二人と話をしました。二人とも冤罪で、「はめられた」と語っていましたが、裁判が民主的かつ公正に進められるとは限らないようです。二人殺して殺人罪で服役して出所し、刑務所のすぐ側で暮らしているフィリッピン人とも話しました。 1000人の死刑囚が服役しているという刑務所からは、ゆったりとしたレゲエの音楽が流れてきて、いい意味で緊張感が感じられず、トロピカルなケセラセラのムードがありました。最近、知人が「一生にいっぺんは刑務所で暮らしてみたい」と言ったのを聞いて、「へぇー、この人がそんなこと思っていたんだあ」と感心したことがあったので、よけいに刑務所暮らしの雰囲気に注意深くなっていたのかもしれません。じつはわたしも刑務所でしばらく哲学や経典の研究でもしてみたいと思ったことが何度かあったのです。 10年ほど前に、タイの国王と女王に謁見したことがありました。タイ国民はとても篤い国王への尊敬心を持っていますが、しかし、儀式や謁見時の雰囲気は南国風にゆるやかで、のんびりしていて、とても好印象を持ちました。沖縄でも同じ感じを持つことがよくありますが、このような「南」の感覚は、これからの文化や文明のあり方に大変重要なサゼスチョンを与えるものではないでしょうか。そんな気がします。「南」の感覚、「南」の風。阿波徳島で育った台風好きのわたしには、この「南」の感覚はとても落ち着いた、ゆとりと誇りを感じられるもので、そこでは「人間の尊厳」というような狭いものではなく、もっと広く深い「いのちの尊厳」が感じられます。いのちへの畏敬・リスペクト。そして、忘失。忘れるということ。 「忘れる」ということや、「馬鹿になる」ということは、とても重要なことだとわたしは日々感じています。そこで、「一日一善」にならって、「一日一馬鹿」を実践したいといつも心に期しています。今日はどんな「馬鹿」なことができたか、言ったか、を点検することがわたしの自己評価の基準です。「馬鹿」というのは、「馬」や「鹿」に対する尊敬心を秘めています。人間より、「馬」や「鹿」の方がえらいと思いますね。 わが家では猫の「ココ」が一番えらく、かしこく、うつくしい、とみんなで言い合います。高貴でもあります。「ココ」は近所のゴミ捨て場に、ビニール袋に入れられて捨てられていた猫で、生まれつき眼球がありません。そのために、人の顔色を窺うという下品な行為からは無縁です。実に無垢に、素直に、やさしく育ちました。物音にびっくりして飛び上がることはあっても、警戒するということがありません。純粋に世界を受け入れ肯定している様子がうかがえます。この「ココ」ちゃんから学ぶことはほんとに数限りないものがあります。わたしの「グル」はこの「ココ」ちゃんと言ってもいいくらいです。「ココ」は癲癇の発作をよく起こしますが、じつにけなげにまっすぐに生きています。動物にはそれぞれに気品があります。人間が一番品がなく、野蛮だと思いますね。特に「文明国」と言われる国に住んでいる人に下品で野蛮な人が多いのではないでしょうか。 なぜならそこには「慢」があるからです。「慢」こそが下品さと野蛮さの根源だと思います。悪魔はその「慢」が大好きなのですよ。宮沢賢治はこのことをよく認識していたと思います。彼は現代文明の一番の病原が「慢」にあると見抜いていました。「注文の多い料理店」は、その文明的「慢」の中で無自覚に生きている「都会のハンター」が山猫に食べられそうになる話でした。わたしたちは、自然を喰い荒らし続けてきたので、必ず「注文の多い料理店」のように、山猫や自然に食べられてしまうことでしょう。その時、わたしたち人間にできることは、どれほどおいしい食べ物になっているかということだけでしょう。 さて、マニラ最大のスラム街トンド地区のことを話したいと思います。わたしは今回の旅にはガイドブックは持っていきませんでしたが、上田紀行さんが『地球の歩き方』を持っていて、そこには「トンドに絶対行ってはならない」と書いてあると教えてくれました。危険だからというのがその理由のようです。しかし、刑務所は法務省や厚生省で会う人会う人がみな、口をそろえて「トンドでは臓器売買が行われているので、トンドに行ったら何かわかるかもしれない」と言うのです。そこでわたしたちは危険地域だと言われているトンド地区に行くことにしました。 車でぐるりと一周すると、バラック立ての小さな人家が互いに抱き合うようにして密集しているのです。そのトンドに足を踏み入れた途端、なんともいえない懐かしい感じがしました。10年前にカルカッタの街に初めて入っていった時のような、ハレーションを起こしそうな懐かしい空白。時間をタイムスリップしたような奇妙なズレ。たくさんの人の目が集まってくるその感覚。縁台で一杯やりながら話に興じている大人たち。その周りで走り回っている子供たち。洗濯物を干している女。食器を洗っている主婦。道の真ん中でバスケットに集中している20人ほどの若者。すべてがそこに在るべくして在るような、落ち着いた存在感がありました。 「ここは、生きてるな」と思いました。人びとがしっかりと生きている。存在感を持って確かに生きている。中上健次の小説に出てくる「路地」の世界に共通する野生といのちの沸騰。カルカッタ、熊野・新宮、マニラ・トンド。この三つの地域には共通の野生と聖性があるように感じました。これは何なのでしょう。大変興味深く思いました。何か、深いところを呼び覚まされるような感覚。生の深みと自然。今回の目的であるトンドの腎臓を売った30歳と24歳の二人の男性に話を聞きましたが、その話よりも、その地区の場所の力に圧倒されたことが今なお強烈に思い起こされます。 最終日、一日だけ、マニラを離れて地方に出ました。「地獄の黙示録」のロケ地になった川のほとりに宿をとり、カヌーで川を1時間半ほど遡って、上流の滝の中に入っていきました。カヌーをイカダに乗り換えて。滝場が見えた時、細胞がわくわくしているのがわかりました。「おれのからだはこの滝の中に入っていきたのだな」。 ――フンドシ姿でホラ貝を吹き鳴らしながら、かなりな水量のある滝の脇から滝の奥の洞窟の中に押し入ってゆく。イカダ漕ぎの男たちが口々にホラ貝を吹く真似をして、「もっとホラ貝を吹け」と催促する。激しい雷雨に打たれたような衝撃。全身に飛沫がはじけ散る。洞窟の中で町田さんと一緒に般若心経を上げる。町田さんは14歳の時に大徳寺で出家し、20年間、小僧や雲水として禅の修行をし、34歳でアメリカに渡りハーバード大学やペンシルバニア大学で神学や宗教学を学んで博士号を取ったつわものである。筋金入りの坊さんだ。わたしの方はといえば、自分で言うのもおこがましいが、一念発起して36歳で神主の資格をとった筋金入りの神主である。ヤジキタ道中よろしく、坊主と神主が仲良く一緒に声をそろえて般若心経を唱える図はなかなか見ものであり、ほほえましかっただろう。いや、不気味だったかな? 町田さんとは敗戦後処刑された日本人捕虜の墓や日本人墓地でも一緒に般若心経や念仏を上げましたが、これが不思議に息が合っているのですよ。前世からの因縁かもしれないと思ったくらい。そんなことなどをいろいろと体験しながらの川上りと川下りでした。「地獄の黙示録」とは対極にあるような、わくわくするような至福の時間。帰国して、この川と滝が忘れられず、「地獄の黙示録」の完全版202分をビデオを借りてきて見ました。驚いたことに、昔、映画館で見たのとはまるで印象が違いました。「こんなにシュールで、こんなに面白く、リアリティのある映画だったのか!」。 ドアーズのジム・モリソンの歌から始まるこの映画のサイケデリックな感覚に完全にはまってしまいました。傑作ですね、この完全版は。「コッポラさん、すごいよ、これは! やるう!」と喝采を送りたくなりました。マーロン・ブロンドも実に渋く、せつなく、存在感がありました。 最近見た映画でよかったのは、ジャンヌ・モロー主演の映画「デュラス――愛の最終章」でした。これもまた、デュラスとジャンヌ・モローの存在感が相俟って見応えがありました。それに対して、「ハリーポッター2」は映画が始まって、15分経って眠り始め、グーグーと1時間あまり眠り、ヴォルデモートの大蛇を退治する場面で目が覚め、あっという間に映画が終わるというありさまでした。こんなによく寝入った映画はなかったです。結局、もう一度見に行かなければ何が何だったのか、わかりません。いとをかし。 ということで、わたしのフィリッピン体験は、いろいろと深く考えさせられる旅でした。また行きたいですね。3月にはほぼ同じメンバーで、カリフォルニアのシリコンバレーに行きます。これまた初めてのアメリカになります。どうなることやら。ではまた、ごきげんよう。 2003年1月16日 鎌田東二拝 |