2002/11 満月 - Moonsault Space
![]() お手紙ありがとうございました。また、先日は僕たちの本『心の中の「星」を探す旅――わたしって本当はなんだろう』(PHP研究所)の打ち上げでお目にかかれて、とてもうれしく思いました。先生のご紹介のお店、とてもおいしかったですね。僕のほうは、占いの仕事が一番忙しくなる季節を迎えています。たくさんの雑誌が「03年の運勢」特集をいっせいに組むからです。女性雑誌を中心に、さまざまなところで記事を書いています。また対談の仕事などもたくさんあります。こうしたものを順次こなしてゆかなければ、というふうに思っています。ポップな星占いではありますが、しかし、そのなかで、読者の方に、少しでも自分を振り返ったり、希望をもっていただけたら、と考えて原稿を準備しています。 しかし、それにしても、どうも世界の動きは不穏ですよね。来年の星まわりなんですが、実は火星がずっと魚座にとどまって激しい力を振るうことが予想されます。火星はもちろん、「戦いの星」。この軍神があまりあらぶることがないように祈りたいものです。火星のパワーを、どうかより積極的に昇華してほしい、と願ってやみません。それにしても、ニュースを見ていると、どこか現実感を喪失しそうになってしまいます。夢の世界が現実世界に侵入してきたような、そんな感覚さえ覚えてしまうのです。 第二次世界大戦の前に、ユングは一種の予知夢のような体験をしていますよね。荒ぶるヴォータンの神が復活してくる、というような。どうも、集合的な無意識のレベルの力が、いや、鎌田先生ならもっとずばり「魔」とおっしゃるかもしれませんが、そうした力が歴史の表面にたちのぼってきているのではないかというふうにすら思えてきます。僕たちが現実だと思っていたものは、一種の虚構であったということが、多くの人の目にあきらかになってきた、というか。 「すばる」誌での先生の「呪殺・魔境論」拝読しました。パワフルな文章ですね。先生は、こうお書きになっています。「祈りも、呪いも念力も存在する。そして、それは一定の実効性をもつ。それは恐ろしいまでの事実なのだ。そう考える。」これは、学者・研究者としての立場から大きく逸脱する言葉だと受け取られる危険もあるものです。勇気のある発言。いや、僕のほうがもう少し頭が堅いのかもしれません。占星術を実践しながら、占いを「字義的」に捉えることにたいして常に警鐘を鳴らしているわけですから。「カガミは占いを信じていないのではないか」などと、同業者から叱られたりするゆえんです。 けれど、呪いはある、という立場をとられている先生も、ある種の客観性というか、ものごとを見つめようとする観点があるという点で、魔にとりこまれた、あるいは、カミに憑かれてしまった人とは違うわけでしょう。文章を読んでいると、それがわかります。つまり、先生は、人を呪いという、あるいはその裏面である祈りでもいいのですが、霊的な「実効性のある」行為にかりたてる、その力の本質を見据えようとされている。あえてアカデミズムのタブーを破ってまで、「呪いは存在する」という立場に踏み込んで、呪いの本質を解き明かそうとされていらっしゃるわけです。ここは、実は本当に大きなポイントだと思うのです。人間の心のなかの悪や魔は、そうでもしないとつかまえることはできないわけですから。 先日、井村君江先生に久しぶりにお目にかかってお話を伺いました。ある雑誌での対談だったのですが、先生も、ついには妖精の「体験」の領域について語りたい、とおっしゃっていました。妖精の物語、絵画、舞踏、音楽などなど、目に見えるかたちで表現された妖精たちを収拾して紹介する仕事をしてきたけれども、それは単なる絵空事ではない。イエイツらをはじめとする一流の文学者や芸術家たちの心のなかには、本質的な妖精体験があったのだし、そして、それは現代人のなかにもある。そうした体験の領域を、なんとか語れないものか…そんなことをおっしゃっているように受け取れました。 妖精というとふわふわしたファンタジーの領域だけだと思われがちだけれど、けしてそうではありません。「鬼」とも近いような、死者の魂や元素の精霊のようなものまで含まれます。日本の「カミ」も、フェアリーと近いと先生はおっしゃっています。そもそも、フェアリーとフェイトは語源をおなじくしているわけですから。 先生が、絵の世界に目覚められたというのも面白いですね。「ワザオギ」としてのアート。これは鎮魂でもあり、またほかの人に何かを伝えるための行為でもあります。僕自身には芸術の霊は降りてこないようで、創作活動はしていないのですが、しかし、たとえばずっとはまっているタロットは、人間のこころを移すアートだと思っています。まさしく「こころの図像学」なのです。 それから、音楽の世界については、実は新しく仕事をしています。来年、僕の英国での占星術の師匠であったチャールズ・ハーヴェイ、スージー・ハーヴェイ夫妻著の、太陽と月の星座の組合せで詳細に性格を分析する本を翻訳・紹介する予定なのですが、これにあわせて、太陽と月をテーマにした曲を集めたコンピレーションCDを出します。発売元はケミストリーや平井堅さんの音楽を出しているデフスターレコード。定番の名曲を新しくアレンジ、演奏していただいて、自分のなかの太陽の面と月の面を喚起するようなものにしてゆこうと思っています。占いの本のほうも、従来のものよりもずっとハイブロウで、自分自身に目を向けることができるものになっています。これも先生のおっしゃる「ワザオギ」になればいいのですが。 そして、僕は「食」も一種のワザオギではないかと思っています。最近、うちにいろいろな方をお招きしていっしょに料理を作ったりすることが増えているのですが、「同じ釜の飯を食う」ことはまさに一種のコミュニオンをつくりあげるのだということを実感しています。おいしいものを食べている間は愚痴もケンカもありません。そこで、というわけではないのですが、なぜか今度は料理の本も作ることになりました。代官山のイタリアンの名店・カノビアーノの植竹シェフのレシピに、僕が食材についての神話的なエピソードを書き加えるコラボレーションです。食べ物には、それぞれ一種の媚薬というか、マジカルな力があると信じられていたわけです。食を通して、物語も召し上がっていただこうという趣向。 もう一度「食」という基本的な営みについて考えて、そして自覚的に食卓に向かうということも大事だと思うのです。なんだか宣伝めいたことばかりになってしまいましたが、近況をご報告します。27日にお目にかかれるのを楽しみにしていますね。 2002年11月19日 鏡リュウジ拝 鏡リュウジさま 今、新年号に向けての執筆で一番お忙しい時期のようですね。来年の運勢が本当に新しい世界を切り開くような、豊かな創造性を実現できる年であることを心から祈らずにはいられません。が、その前に、国連決議受け入れによるイラク査察があり、事と次第によっては米英のイラク攻撃が始まりそうないやな予感がします。パレスティナとイスラエルとの間の戦争状態もエスカレートするばかりだし。世界中で対立と摩擦が強まり、発火寸前。この惑星はかなりやばい状態だよ、ほんとに。 こういう時には、本当に、心を鎮める「ワザオギ」が必要だと思います。ジョン・ケージが第2次世界大戦中に作ったプリペアド・ピアノを使った楽曲のような、魂の深みに聖なる静けさを呼び覚ます「ワザオギ」が。ケージは、「世界は爆弾が打ち込まれて騒然としている。こんな喧騒で落ち着かぬ時だからこそ、わたしは静かな音楽を作りたい」と言って、心に深みに耳を傾けるような音楽を作りました。30年近く前に、高橋裕治氏のピアノ演奏でその曲を聴いた時、心の底から感動しました。今でも、その時の言葉では表現しがたい感動が生々しく甦ります。 その時、わたしは音楽や芸術が持つ底力を実に力強く、頼もしく深遠に感じたのです。わたしは「深遠」に惹かれます。深くて、遠いものに。子どもの頃からそうでした。宇宙や神々や諸霊の世界に関心を持たざるを得なかったのも、それらがわたしに「深遠」の感覚を呼び覚ましたからです。わたしがピュタゴラスやプラトンやニーチェやバタイユやシモーヌ・ヴェーユの哲学が好きなのも同じ理由です。 かつて「飢えた子の前で文学が何の役に立つか?」とサルトルたちは問いかけ、アンガージュマンの文学を呼びかけましたが、わたしは「飢えた子の前」でも「収容所でガス室に送られる直前の人の前」でも、その危機的な状況に直面している魂に届く「深遠」な「ワザオギ」がありうると確信しています。それはいのちと存在に対する信頼と畏怖から生れてきます。なぜそう思うのか、それが何か、それを自分で作れるかは、わかりませんが。そのような可能性をわたしはジョン・ケージの戦争中の音楽から学びとったのです。芸術の「深遠」というものに何か希望と可能性と力を見たのです。それは間違いなく魂に届く「ワザ」だったと思います。 最近、わたしは、「神道ソングライター」として2枚目のアルバムの制作に取りかかりました。全13曲、60分くらいのアルバムになる予定ですが、今になってタイトルをどうするかで迷っています。1枚目のアルバムは、「2001年宇宙の旅」のカマタ・ヴァージョンの意気込みで、2001年8月15日に2001枚を『この星の光に魅かれて』と題してプレスすることに何の迷いもありませんでした。売れ行きは芳しくなく、評判もほとんど聞きませんが、わたしはこのアルバムがやがて静かに長く人びとの魂に届いていくことを信じて疑いません。それは、確かにわたしが作詞作曲しましたが、わたしが作ったものではなく、この宇宙に遍満しているさまざまな響きの中から、響いてくるままにキャッチしたものに他なりません。だから、わたしが作ったものというよりも、前からあったものをちょっと借りてきただけという感じが強いのです。 今度のアルバムもそうなのですが、去年、ファーストアルバムを出してまもなく、あの9・11のテロ事件が起こりました。わたしはあえて8月15日の終戦記念日に、世界の平和を祈念して出しましたが、結果は、騒然とした攻撃的な世の中になってしまいました。とはいえ、1枚目を出す時点で、2枚目は『人生(The Way of Life)』とタイトルを決めていて、周りにもそう吹聴していました。何か、「人生」というもの、いのちの道というものを歌いたかったのです。中に、「人生」と題した曲もあります。「人生組曲」という組曲も作っていました。しかし、テロ事件やアフガン攻撃などが続くうちに、そんな悠長に「人生」なんか歌ってられるか、という気分も生れてきました。そうした中で、「戦いを超えて」とか「フンドシ族ロック」とかのプロテストソングも作って歌うようになりました。 最初、今年の8月15日の2002枚プレスするつもりでしたが、アレンジも仕上がらず、今月になってほぼアレンジが出来上がり、いざ録音という段になって、タイトルを収録曲中にある「天から落ちてきた卵」にするか「なんまいだー節」にするか、迷い始めました。未だに結論は出ませんが、気分は「なんまいだー節」。周りの意見は圧倒的に「天から落ちてきた卵」がいいという意見。鏡さんはどちら?「なんまいだー節」は神道ソングの代表作の一つになるような気がします。みんなで歌えるし。わたしが死んだら、この曲をかけて、「なむなむなむなむなんまいだー」と歌いながら、みんなで踊りまくってほしいな。一遍さんの踊念仏のように。死を悲しがらずに、死を受け入れ、感謝して欲しいな。わたしたちがみな一人一人この世に在ったという奇跡的な出来事に、手を合わせてほしいな。歌いながら、踊りながら、笑いながら、泣きながら。 そもそもこの「なんまいだー節」は、17年間、家族として暮らしてきた我が家の猫「チビ」が死んだ日に、庭の桃の木の下の猫塚に埋葬して般若心経や念仏を唱え、そのあと月に向かって歌っているうちに自然に出来上がってきた曲です。チビへの鎮魂曲。それが自分への鎮魂曲ともなり、「君」や「人」への鎮魂曲となるようにという思いがおのずと結ばれて、3分間で出来上がりました。とてつもなくシンプルだけど、とてつもなく「深遠」で、それでいて重くなく、軽くふわふわと漂い、旅していくって感じ。自分で言うのもおこがましいけど、そんな感じ。アレンジが出来上がってきた時には、聴いて涙が出たほどでした。なんで泣けたんだろう? それに対して、「天から落ちてきた卵」の曲の感じは、戸川純ちゃんの「となりのインド人」って感じかな。天から落ちてきた隣のインド人! なんか、摩訶不思議な感じですよ。おもろいテイストで、アレンジは抜群にストレンジ! アレンジャーの古川はじめさんは才能あるよ、ほんとに。 この宇宙の中に、ポコッと卵=魂子が落ちてきて、この水の惑星に引っかかって人生をいきるという歌です。これも捨て難い。宇宙、銀河、地球、四次元、宮沢賢治。そんなこんなを連想します。戸川純も連想します。ところで、戸川純ちゃんの「蛹化の女」は本当に名曲ですね。泣けます。パンクヴァージョンもいい。彼女は一種の歌うシャーマンでした。「玉姫様」「昆虫群」「眼球綺譚」もいいです。好きです。彼女がデビューする前に一度朝まで六本木で一緒に飲んだことがあったけど、いい感じでした。歌い手として、平安末期の『梁塵秘抄』に収められた今様歌を歌った白拍子のように、はかなげで、あえかで、幽玄さもある。実にユニークで、個性的でした。これからも歌ってほしい人ですが、妹さんを亡くして力を落しているようですね。個性と才能のある人が充分に自分の創造性を発揮できる世の中であってほしいと思いますね。もちろん、鏡さんもその中の有力な一人。 ところで、先月、わたしは岡山大学の大学院・医歯学総合研究科の社会環境生命科学専攻を受験して合格しました。「社会人特別」選抜枠で受験したのですが、これから本格的に医学の分野や生命科学の分野から、脳死・臓器移植・クオリティ・オブ・ライフ・健康・長寿高齢化社会・生命観・死生観・生命倫理の問題などに取り組もうと思っています。 そもそもわたしは、高校生の頃に犯罪心理学に興味を抱き、東京医科歯科大学医学部の精神科の犯罪学教室に入学したかったのですが、化学が嫌いであきらめて、早稲田大学文学部心理学科を受けて落っこちて、國學院大學哲学科に入ったという経路があります。わたしが最初に書いた論文は、「21世紀の犯罪防止対策」の懸賞論文で、それが入賞し、生れて初めて原稿料をもらいました。以来、犯罪学、犯罪心理学、精神医学の領域に関心を持ちつづけてきました。わたしが歌を歌うようになったのも、「21世紀の犯罪防止対策」ではありませんが、それとけっして無関係ではありません。歌の力によって人の心をどのように深く、静かに、透明にできるか、をいつも考えます。 そんなこんなで、4年前、オウム真理教事件の自分なりの総決算の気持ちを込めて、群馬大学医学部を社会人入学の枠で受験して、残念ながら、見事書類成功で落ちてしまいました。試験を草津温泉で泊りがけで行うというので、絶対受かると思っていたのだけど。法螺貝を吹きまくったりして。しかし落ちた時点で、現実的には、臨床医になる道はあきらめざるを得ませんでした。年も年だし。けれど、医学を学ばねばという気持ちは依然として強く持っていました。それがひょんなことからこういうことになって、初心に立ち返って、人間と医療、生命と倫理、こころとからだとたましいの問題を「文医両道」で考えていきたいと思います。 子どもの頃、祖母の乳癌を治すために「医者になるんだ!」と言い張っていたのですが、彼女は「高野山に行って坊さんになってくれ!」と言いました。そのことはわたしの人生に深い影を落としています。医者にも坊さんにもならなかったけれど、それに近いところで、心と魂の問題に関わってきたわたしの人生も、紆余曲折・天変地異しています。これからどのような道になるのか、天に身をゆだね、星に行く先を聞きながら生きていきたいと思います。それでは11月27日(水)夜の井村君江先生とフェアリー協会主催の「星と神と妖精を探す旅」の催しでお会いできることを楽しみにしています。ごきげんよう。 2002年11月19日 鎌田東二拝 |