2002/7 満月 - Moonsault Space
![]() お元気ですか? 先日、偶然にも新宿のコーヒーショップでお会いしたことには驚きました。その折に頂いた御著書『平田篤胤の神界フィ-ルドワーク』(作品社)、大変面白く読ませていただいております。実は今、フロリダにおります。オーランドで開催されているUAC(United Astology Conference)という占星学の大会に出席するためです。アメリカの三つの大きな占星学団体の共催で、3-4年に一度行われるこのイベントには、700名―1000名の占星術家が顔をそろえます。僕も久しぶりに世界の多くの仲間たちと再会して、いささか興奮している次第です。 前回、女性性についてお話したいと申しましたが、ここでは、100名程の講師の70%ほどが女性です。中には、女神のシンポジウムについてレクチャーする方も多く、占星学におけるこの問題への関心の深さが伺われます。こちらでは、正規の大学としての占星学校が生れるなど面白いことがおこっています。お話したいことは、たくさんあるのですが、旅先なのでこのあたりで。次の新月あたりに、フォロー・アップのお手紙を書くつもりです。では、お元気で。 鏡リュウジ拝 2002年7月22日 短い上に手書きですみません。 拝復 鏡リュウジ様 鏡さん、アメリカからのFAXでのムーンサルトレター、ありがとうございます。今、フロリダのオーランドというところにいるのですね。どんなところでしょうか。興味があります。そこに、世界中から占星学に関心のある人が1000人近くも集まって来ているなんて。まさに、10月――出雲では特に神在月という――に出雲で行われる、次の年のことを話し合う神さまの会議みたいで、面白そう。そんなおもろいコンファランスの最中にわざわざレターを書いてくださり、謝謝! 面白さが匂ってきそうです。満月に向かって吼える狼男や、ジキル氏とハイド氏や、魔女や山姥がいっぱいいそうで。 ところで、この前のレターで鏡さんが女性性や山姥のことを取り上げたいと言われていたので、わたしも改めて山姥に最注目をしてきました。実は、わたしは去年からにわか山姥ファンで、ヤマンバ・アクティビティ・センターが青森県の下北半島にあるのを知っています。スーフィストのインゴ・ラシッド氏といっしょに、去年7月の恐山大祭に行った時に見つけました。といっても、肉眼ではみえませんよ、そのセンターは。この世ならざるところにある山姥活動センターですからね。下北半島の海沿いの港町の森の入口にそれはあります。わたしたちはその山姥アクティビティ・センターの在り処を探知しました。それはそれは、おもろい旅でした。去年のちょうど、今時分のはなし。 さて、この前は、新宿駅のマイ・シティ8階のプチモンドでバッタリお会いしましたね。ちょうど、その日『平田篤胤の神界フィールドワーク』の見本が出来上がったばかりで、作品社の編集担当の増子さんから直接手渡されたところでした。そこへ、鏡さんが「こんにちは!」と声をかけてきてくれたので、こちらもビックリしました。でも、驚くより以上に、嬉しかったですね。予想外のところでバッタリ会えるなんて。この本は、絶対に、鏡さんに読んでほしかったし。ということで、あなたが一番最初の読者になったよ。まだ、本屋さんに出回っていないときだったからね。なんとも、うれしいハプニングでした。 この本は、8年間も天狗界に出入りしたという15歳の少年の寅吉や、前世の記憶を保持している八王子の9歳の少年勝五郎をインフォーマント(情報提供者)として、霊的世界(幽冥界)を探査した平田篤胤の変人ぶりや、そのとてつもない情報の面白さもあって、とてもおもろい、奇妙な、それでいて大変真面目な本になったと思っています。良くも悪しくも、平田ワールドと鎌田ワールドが感応道交して生れる霊界ウェーブが激しく波立ってますねん。真面目でおもろい本、とまあ、自己紹介しておきます。 ところで、先だって鏡さんにいただいた本『タロット――こころの図像学』(河出書房新社)も面白い本ですね。タロットの歴史と概論を網羅した百科全書的な本で、とても参考になります。「思えば、十八世紀以降、タロットはいつでも、ある種この現実や社会に満足しない人々、前衛的な人々の関心を集めてきたように思われる。タロットに宇宙の神秘を見ようとした神秘家たちは、よくもわるくも社会の枠からはみ出した変わり者であった。タロットという奇妙なものにひかれるのは、そうした感性の持ち主だったのかもしれない」とあるところなど、平田篤胤を彷彿とさせますし、あなたやわたしのことを言い当てているかのようでもあるし。うんうん、そっかそっか、というカンジ。 「月と太陽」の章も興味深かったけれど、「『従来の心理学が語り得なかったもの、そして二一世紀に心理学が語らねばならぬもの、それは、美・正義・運命であります』。ジェイムズ・ヒルマンはこう宣言している」と、「正義と隠者」の章が始まるところもスリリングでした。さすがヒルマンじいさん、ええこと言うよ。そして、「『孤独』は創造性を支えている」というところや、「内なる想像力を高め、自分の内的な感情と向き合うために『孤独』は必要なものである」というところも、とても納得がいくところでした。わかりやすくて、読みやすく、ためになるいい本を出されましたね。 「やまんば」の話に戻ります。わたしが山姥に興味を持ったきっかけは、足柄山の金太郎(坂田金時)を育てたのが山姥だったという話を聞いた時でしたが、なぜか、とてもなつかしい感じがしたのです。子どもの頃のことだったと思うのですが、きっと、その時、祖母のことを思い浮かべたのでしょう。ばあさんに育てられた金時にとても親近感を抱いたことをはっきりと覚えています。 「山姥」とは、『世界宗教大事典』(山折哲雄監修、平凡社)によると、「山の奥にすむという老女の妖怪。<やまんば>とも読む。若い女と考える所もある。山姥のほか、山女(やまおんな)、山姫(やまひめ)、山女郎(やまじょろう)、山母(やまはは)、鬼婆(おにばば)などともいう。地方によって多少の違いはあるものの、背が高く、長い髪をもち、肌の色は透き通るほど白く、眼光鋭く、口は耳まで裂けている、というのがほぼ共通した特徴である」という。この記事は、民俗学者で文化人類学者でもある小松和彦さんが書いていますが、最近、小松さんが『神なき時代の民俗学』(せりか書房)というとても刺戟的な本を送ってきてくれました。この本の中で小松さんは、「神なき時代の、神探しが、私の『民俗学』なのである」と言い切っています。やるなあ、小松さん、いいぞっ! 小松さんもいよいよ自分のスタンスをはっきりと世に問うてきましたね。もう、曖昧模糊とした、重箱の隅をつつくだけの学者は要らないよ。その点、小松さんの新著は評価できます。その小松さんが、山姥のイメージは両義的、すなわち、「人を食う恐ろしい存在だと考える一方、福をもたらしてくれることもあると考えている」と、その二面性を指摘しているのは興味深いことです。四国の山中には、山姥に気に入られて長者になった家があるそうな。パリのことはともかくとして、わたしも四国の徳島の生れだけど、残念ながら、まだそんな山姥には出会ってませんねえ。これからの、たのしみ、タノシミ・・・。 この山姥に対して、山に棲息する大男ないし妖怪を、山父(やまちち)とか、山童(やまわらわ)とか、山大人(やまおおひと)とか、山丈(やまたけ)とか、山男(やまおとこ)とかと言い、片手・片足の一つ目であることが多いとされています。ヤマハハとヤマチチ。また、山姥(鬼婆)と山童。この対照性はとても面白いですね。「翁童論」のテーマともつながってくるし。 それはそうと、新宿でバッタリ会った時、「これから、坂東真砂子の『山妣(やまはは)』を読むんだ」と買ったばかりの新潮文庫を鏡さんに見せると、「僕は坂東さんと親しいですよ」と言われましたね。坂東真砂子は、高知県生れで、『死国(しこく)』というスリラー小説を書いています。それは以前読んでいたのだけれど、全然面白くなかったので、それ以上彼女の本を読んではいなかったのですが、電車の中での時間つぶしと、鏡さんが「山姥」のことを取り上げたいと言っていたことを思い出して、その日、まったく偶然に駅の売店で見つけたその『山妣』を買って読んでみたのです。そんな記念すべき日に、あなたにバッタリ会うなんて! やまんばの引き合わせとしか思えません。すごいよ、これは。 それはともかく、その坂東真砂子の小説の『山妣』はめちゃくちゃおもしろかった。ぐいぐい引き込まれた。世界ができてた。濃密な。感動した、すごく。深く。坂東真砂子、やるなあ。これは、いいよ。掛け値なしに。と思ったら、すでに1997年度の直木賞を取っていたんだねえ。知らなかった。無知でした。不勉強でした。 この小説に感動した伏線が自分なりにはあって、それはこれが越後の山の中の出来事で、その民俗的世界が方言とともにとてもリアルに情緒たっぷりに描かれていたこと、芝居役者、ごぜ、遊女、マタギ、熊、など、非常民的な遊行者が、山の奥深さと、いのちの大いさと、人間の業のもつれや根深さを露わにしながら、民衆絵巻を織り上げていたこと、両性具有の若い俳優・涼之助と実の姉・てるとの不思議な邂逅と近親相姦、やまはは(やまんば)とされる元遊女の孤独とせつなさと力強さ、犯罪が起きる時にどうしようもなく展開してゆく不可解なエナジーと妄想的な思い込み、などなど。どれもこれも、いたくわたしを刺戟しました。わたしにとっては、デビュー作の『水神伝説』の民俗版のように思える一節もあり、大変親近感と縁を感じたわけです。 ともかく、一言では言い尽くせぬほど深く感じ入りました。これについては、次回じっくりと書き込みながら、鏡さんと話し合いたいと思います。鏡さん、オークランドのもろもろのおもろい出来事とともに、新月の夜に特別臨時バージョンとして、坂東さんの『山妣』を枕に、やまんば物語を語り合いましょうよ。夏休みの怪談ばなしを。では、その時までのお楽しみ! 帰ってこられるのを心待ちに待っています。 2002年7月23日 鎌田東二拝 |